女子校の教師を勤めていたセルマ・ラーゲルレーヴは、教鞭を執る傍ら、詩や短編小説を雑誌の懸賞に投稿していた。1890年に短編が『イドゥン』の懸賞に入選、女性解放運動家のソフィー・アドレルスパッレ男爵夫人の支援の元、教職を1年間休職した後、『イェスタ・ベルリングのサガ(英語版)』[5]を書き上げて翌1891年に刊行した。1820年代の郷里を民話に似せ幻想的に描いたデビュー作『イェスタ・ベルリングのサガ』は「90年代文学」(新ロマン主義文学)の代表的な作品となり、40ヶ国語以上に翻訳された[6]。そのきっかけは、デンマーク語版に訳され、影響力のある男性書評家 Georg Brandes に着目されたことであり[7]、ストックホルムで芸術サロンを開き文芸活動を支えていたフレデリカ・リムネル(en)は、作家専業で進めるようにと援助を申し出たことで[8]、ラーゲルレーヴは作家への道を歩んで行くこととなった。
^Cronqvist, Marie (2005). “En städfru lägger pussel: Idun/Veckojournalen och berättelsebygget 1963 [(仮題)掃除婦がパズルを組み立てる:Idun / Veckojournalenと1963年の物語の構築]” (スウェーデン語). Veckovis : en antologi om svensk veckopress.: 43–48. OCLC937095118.