アーデルハイト・フォン・ザクセン=マイニンゲン (Adelheid von Sachsen-Meiningen , 1891年 8月16日 - 1971年 4月25日 )は、ドイツのザクセン=マイニンゲン家 の公女で、プロイセン王子アーダルベルト の妻。愛称はアディ (Adi )[ 1] 。
生涯
ザクセン=マイニンゲン公子フリードリヒ と、その妻のアーデルハイト・ツア・リッペ=ビースターフェルトの間の次女として生まれた。全名はアーデルハイト・エルナ・カロリーネ・マリー・エリーザベト(Adelheid Erna Karoline Marie Elisabeth )。母はリッペ侯国 摂政のリッペ=ビースターフェルト伯エルンスト の娘で、最後のリッペ侯レオポルト4世 の姉である。姪(弟ゲオルク の娘)に、元オーストリア皇太子オットー・フォン・ハプスブルク の妃となったレギーナ がいる。
ザクセン=マイニンゲン公女アーデルハイトとプロイセン王子アーダルベルト
第1次世界大戦 勃発直後の1914年8月3日にヴィルヘルムスハーフェン において、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世 の三男アーダルベルト王子と結婚した。この結婚は、ドイツの領土問題(Deutsche Frage )において、かつてオーストリア帝国 を支持したザクセン=マイニンゲン公爵家とプロイセン王家の友好関係を保つために繰り返されてきた政略結婚の一端であり、祖父のゲオルク2世 や伯父のベルンハルト3世 もプロイセン王女を妃に迎えていた。
アーデルハイトと夫との夫婦生活は幸福だった。姑のアウグステ・ヴィクトリア 皇后はアーデルハイトに自分の慈善事業を手伝わせ、アーデルハイトは1918年に開設されたベルヒテスガーデン 海軍病院の監督を任された。ドイツ革命により君主制が倒れると、アーダルベルト王子とその家族は、バート・ホンブルク・フォア・デア・ヘーエ に建つ、アーデルハイトの名前にちなんだヴィラ・アーデルハイツヴェルト(Villa Adelheidswert )に隠遁した[ 2] 。アーデルハイトの健康状態が思わしくなかったため、夫妻は後にスイス に移住し、「リンゲン伯爵夫妻」と名乗って暮らした。
子女
夫アーダルベルト王子との間に一男二女をもうけた。
ヴィクトリア・マリーナ(1915年)
ヴィクトリア・マリーナ(1917年 - 1981年) - 1946年、キルビー・ウィリアム・パターソンと結婚
ヴィルヘルム・ヴィクトル (英語版 ) (1919年 - 1989年) - 1944年、ホヨス女伯爵マリー・アントイネッテと結婚
脚注