英国のウェールズ南西部、ミルフォード・ヘイブンに生まれる。メソジスト教会の巡回牧師であった父親の職業柄、幼少時より英国内を転居し続ける生活を送る。17歳でロバート・ブラウニング作品批評をWesleyan-Methodist Magazineに発表、ブラウニング協会の会員となる。このブラウニング批評に注目した協会創設者Frederick. J. Furnivallの推薦により、1884年には19歳にしてシェイクスピア作品集(the Shakespeare Quatros Facsiimiles Series)の序文執筆を依頼される。以降、精力的に批評および翻訳作品を発表し続け、ウォルター・ペイターにハヴロック・エリスら、当時すでに活躍していた人物のひきたてもあり、ロンドンの文壇サークルへの仲間入りを果たす。
1880年代半ばから1890年代後半にかけては、シモンズのキャリアを代表する、もっとも活躍が目立った時期である。Academy, Dome, Yellow Book他、時代を代表する複数の文芸雑誌に文学、舞台、美術、音楽と多岐にわたる芸術分野に関する批評、エッセイを執筆する一方、詩集もたてつづけに発表している。Days and Nights(1889),Silhouettes(1892), London Nights(1897)などがある。
1899年、文芸批評代表作のひとつThe Symbolist Movement in Literature『象徴主義の文学運動』を発表。第二版は1919年。フランス、ベルギーですでに萌芽していた新しい文学運動をいち早く英語圏に紹介した批評集として、20世紀のモダニズム作家達にも多大な影響を与えた。その影響を公言している作家の中には、トマス・エリオット, エズラ・パウンド, ジェイムズ・ジョイスも含まれる。日本でも大正期の象徴派詩人に多大な影響を与えたことで知られ、日本語訳は岩野泡鳴『表象派の文学運動』(新潮社 1913年)をはじめとして、21世紀にいたるまで、複数の翻訳者により出版されている。
ジプシーの生活に憧れ、外国語に堪能で旅を愛したシモンズは、数多くの旅行記も発表している。Cities (1903) Cities in Italy (1907) Cities and Sea-Coasts and Islands (1918)。印象派詩人と評されることの多いシモンズらしい、眼に映る光景を個人の心象風景とともに色鮮やかに綴るスタイルは、同時に文学や美術の批評家としての側面も窺える独自の魅力を有している。