アークロー男爵(アークローだんしゃく、英語: Baron Arklow)は、イギリスの男爵位。連合王国貴族として2度創設され、2度とも従属爵位だった。
歴史
1801年、ジョージ3世(1738-1820)の六男オーガスタス・フレデリック王子(1773-1843)はアークロー男爵、インヴァネス伯爵、サセックス公爵に叙された[1]。しかし、2度の結婚ともに1772年王室結婚法(英語版)で無効とされたため、嫡出子がおらず、1843年4月21日にオーガスタス・フレデリック王子が死去したことに伴い爵位は廃絶した[2]。
1881年5月24日、ヴィクトリア女王(1819-1901)の四男レオポルド王子(1853-1884)はアークロー男爵、クラレンス伯爵、オールバニ公爵に叙された[3]。1884年にレオポルド王子が死去すると、息子チャールズ・エドワードが爵位を継承したが、1919年3月28日には1917年称号剥奪法に基づく国王ジョージ5世の命令により爵位を剥奪された[4]。『クラクロフト貴族名鑑』によると、チャールズ・エドワードの息子ヨハン・レオポルト(1906-1972)の息子エルンスト・レオポルト(英語版)(1935-1996)の息子フベルトゥス(英語版)(1961-)は1917年称号剥奪法第2条に基づき、オールバニ公爵の回復を求めることができる[4]。ヨハン・レオポルドの貴賤結婚により、彼の子孫はザクセン=コーブルク=ゴータ公爵家の家長になれなかったが、オールバニ公爵への請求権には影響しなかったという[4]。
アークロー男爵(第1期、1801年)
アークロー男爵(第2期、1881年)
出典