アンブロークン (HMS Unbroken, P42 ) は、イギリス海軍 の潜水艦 。U級潜水艦第3グループ の1隻。
艦名は「壊されていない、不屈の」という意味の形容詞 に由来し、イギリス海軍においてこの名を持つ唯一の艦である[ 1] 。
艦歴
1942年4月にピーター・チャーチル (英語版 ) 大尉率いる工作員が「アンブロークン」から上陸したことを示す記念碑。
「アンブロークン」の初代艦長アラステア・マーズ (英語版 ) 大尉。
「アンブロークン」は1940年12月30日にバロー=イン=ファーネス のヴィッカース・アームストロング で起工、1941年11月4日に進水したが[ 2] 、この際にはまだ固有艦名は与えられておらず単に「P42 」(HMS P42 )と呼ばれていた。その後、1943年2月1日に「アンブロークン 」と改名されている[ 3] 。
「アンブロークン」は第二次世界大戦 における戦歴のほとんどを地中海 で過ごした。ホーリー・ロッホ での公試後、「アンブロークン」はマルタ で第10潜水戦隊 に合流するため、ジブラルタル から錬成を兼ねた哨戒に向かった。「アンブロークン」は、著名な特殊作戦執行部 (SOE)工作員 であるピーター・チャーチル (英語版 ) 大尉が指揮する工作員たちを南フランス のアンティーブ に上陸させた。その後マルタに向かい、1942年6月に第10潜水戦隊を再編した。「ユナイテッド (英語版 ) 」、「アンラッフルド (英語版 ) 」、「アンライバルド (英語版 ) 」が参加するまでの間、「アンブロークン」はマルタで行動可能な唯一の潜水艦だった。同月には、ハープーン作戦 及びヴィガラス作戦 に参加している。1942年7月、「アンブロークン」はイタリア 本土西岸の主要鉄道 路線を攻撃し、24時間にわたって路線を封鎖することに成功した。しかしながら、沿岸砲兵からの反撃が蓄電池 に命中し、マルタへの帰還を余儀なくされた。1942年10月、石油タンカー に魚雷を命中させた後で護衛艦の反撃により大破し、マルタで再び修理を受けた[ 2] 。
地中海における活動で、「アンブロークン」はイタリア商船「エッダ」と「ボローニャ」(元フランス 船「モナコ」)、イタリアのパイロット 船「F20/エンリカ」、イタリアの特設掃海艇 「No.17/ミラノ」をそれぞれ撃沈した。また、イタリアの帆船 「ヴァーレ・フォルモソII」、ドイツ (元ノルウェー )のタンカー「レジーナ」を損傷させている。特にペデスタル作戦 においては、イタリア海軍 重巡洋艦 「ボルツァーノ 」と軽巡洋艦 「ムツィオ・アッテンドーロ 」を大破させる戦果を挙げた。「ボルツァーノ」は燃料タンクに魚雷が命中し炎上したため、パナレーア島 に擱座しなければならなかった。「アッテンドーロ」も60フィート (18 m)にわたって艦首を失った。「ボルツァーノ」は戦争の残りの期間、戦線に復帰することはなかった[ 2] 。
「アンブロークン」はイタリア商船「アルジェリーノ」も攻撃したが、魚雷は外れた。その後、リビア のトリポリ 北西にいたイタリア商船「タイタニア」を損傷させた。「タイタニア」は駆逐艦「アスカリ 」に曳航されたが、翌日早朝に潜水艦「サファリ (英語版 ) 」によって沈められた。「アンブロークン」は地中海での任務を終え、1943年8月にイギリス本国へ帰還した[ 2] 。
ソビエト海軍
「アンブロークン」は1944年6月26日にソビエト連邦 に貸与され、「V-2 」(キリル文字 表記:B-2 )と改名された。1944年10月12日、「V-2」はドイツ海軍 駆潜艇 「UJ-1220」を撃沈している[ 2] 。「V-2」こと「アンブロークン」は、1949年にイギリス海軍へ返還されるまでの4年間をソ連海軍 で過ごした。「アンブロークン」の艦体は、1950年5月9日からゲーツヘッド で解体された[ 3] 。
栄典
「アンブロークン」は第二次世界大戦の戦功で1個の戦闘名誉章(Battle honour)を受章した[ 3] 。
出典
関連項目