アレン・バーナード・バーグ(Allen Bernard Berg, 1961年8月1日 - )は、 オゼッラチームより1986年シーズンにF1に参戦した、カナダの元レーシングドライバー。現在はレーシングスクールの代表として活躍している。
経歴
バーグはブリティッシュコロンビア州バンクーバーで生まれた。彼は1978年にカートを始め、20歳のときにフォーミュラアトランティックに乗り換えた。 1982年に彼はオーストラリアとニュージーランドで有名なタスマンフォーミュラパシフィックシリーズでチャンピオンを獲得し、1983年にイギリス・フォーミュラ3選手権に参加した[1]。同年のイギリスF3には、アイルトン・セナやマーティン・ブランドル、ジョニー・ダンフリーズ、デイビッド・レズリー、デイビー・ジョーンズなど後に様々なカテゴリのレースで実績を残すことになるドライバーが多数参戦していたが、バーグは健闘してシリーズ5位となる。特にヨーロッパF3との合同レースとなった、ブランズ・ハッチでのレースでは、セナやレズリーなどライバルの多くがリタイアするなか、イギリスF3勢最上位の5位に入って最大のポイントを獲得した。1984年もイギリスF3に引き続き参戦。ダンフリーズに敗れはしたものの、シリーズ2位を獲得した。
1986年にバーグはオゼッラF1チームのシートを獲得。9つのレースに参加し、競争力のないマシンで奮闘してみせた。しかし、バーグはスポンサーシップの問題を抱えており、シーズンの半ばからの参戦となった。1987年もF1参戦を続ける機会があったが、カナダグランプリがキャンセルされた為に、十分なスポンサーを集めることができず、シートを確保することができなかった[2]。
バーグはレーシングドライバーとしてだけではなく、チームオーナー、シリーズ主催者、ドライビングコーチ、インストラクターとして様々な立場からモータースポーツに携わってきた。F1参戦後は、スポーツカーレースとトランザムシリーズに活動の場を移し、BMW・M3で旧ドイツツーリングカー選手権にも参戦。1991年にメキシコF2でシリーズ2位、 1993年にタイトルを獲得した。2001年にはオーナードライバーとしてインディ・ライツパンアメリカーナのタイトルを獲得した。
現在バーグは後輩の指導に力を入れており、モントレーのウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカに拠点を置き、アレン・バーグ・レーシングスクールを運営している。このスクールは、フォーミュラカーのドライブが未経験なドライバーにもレースドライビングする機会やプロドライバーになるために必要な教育プログラムを提供している。
レース戦歴
ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
F1
(キー)
ル・マン24時間レース
参考文献
外部リンク