アルカンタラ(Alcántara)は、スペイン・エストレマドゥーラ州カセレス県のムニシピオ(基礎自治体)。タホ川の河岸にある。
歴史
イスラム勢力支配下時代、町はアル=カンタラト("al-Qantarat" ( القنطرة)、放水路を意味する)と呼ばれていた。1167年、レオン王フェルナンド2世がイスラム勢力から町を奪還。1172年、アルモハド朝が再び占領し、1221年にレオン王アルフォンソ9世のレコンキスタによってようやく解放された。このように、キリスト教国とイスラム勢力の衝突する辺境であったことから、1166年にレオン王国がアルカンタラ騎士団を創設し、レコンキスタを戦った。騎士団に付属していた施設として、サン・ベニート・デ・アルカンタラ修道院(es)がある。
アルカンタラには、トラヤヌス帝時代の103年から106年に建設された、全長194m、高さ71mのアルカンタラ橋がある。この橋は、ノルバからコニンブリガまでのローマ道の一部であった。
人口
政治
自治体首長はエストレマドゥーラ国民党[4]-エストレマドゥーラ統一[5](PP-EU)のルイス・マリオ・ムーニョス・ニエート(Luis Mario Muñoz Nieto)[6]で、自治体評議員はエストレマドゥーラ国民党-エストレマドゥーラ統一:5、エストレマドゥーラ社会労働党(Partido Socialista Obrero Español de Extremadura):4となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[7]。
1999年6月13日自治体選挙[7]
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政党
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得票数
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得票率
|
獲得議席
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PSOE
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557
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43.18%
|
4
|
PP
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362
|
28.06%
|
3
|
EU[8]
|
224
|
17.36%
|
1
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IU-CE[9]
|
114
|
8.84%
|
1
|
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2003年5月25日自治体選挙[7]
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政党
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得票数
|
得票率
|
獲得議席
|
PSOE
|
457
|
35.70%
|
4
|
EU
|
304
|
23.75%
|
2
|
PP
|
288
|
22.50%
|
2
|
IU-SIEX[10]
|
211
|
16.48%
|
1
|
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2007年5月27日自治体選挙[7]
|
政党
|
得票数
|
得票率
|
獲得議席
|
PSOE
|
535
|
43.96%
|
4
|
PP-EU
|
367
|
30.16%
|
3
|
IPEX[11]
|
179
|
14.71%
|
1
|
IU-SIEX
|
119
|
9.78%
|
1
|
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2011年5月22日自治体選挙[7]
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政党
|
得票数
|
得票率
|
獲得議席
|
PP-EU
|
624
|
52.75%
|
5
|
PSOE
|
485
|
41.00%
|
4
|
IU-V-SIEX[12]
|
55
|
4.65%
|
0
|
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司法行政
アルカンタラはカセレス司法管轄区に属す[13]。
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
アルカンタラに関連するメディアがあります。