アドバルーン(和製英語: ad baloon)とは広告宣伝目的に使われる係留気球のこと[1]。広告気球。アドバルーンによって釣り上げられる宣伝バナーはアドバルーン広告と呼ばれる。
文字を横書きにする欧米では二つの気球の間にバナーを入れた宣伝が行われていた事に対し、縦書きの日本では単体の気球でバナーを吊るす手法が取り入れられ、広告を意味する ad と気球を指す balloon を組み合わせて「アドバルーン」と呼ばれ、昭和期に広く用いられた[1][2]。
構造
直径2-3 メートル程度の球形の気球を比重の軽いガスで浮揚させる[1]。初期のガスには可燃性の高い水素が使われていたが、火災防止のために不燃性のヘリウムに置き換えられている。
バナーは横幅1 m、高さ10 m程度で、縦80 cm-1 m、横1 m程度の枠抜きした文字が配置される。
運用
気球は屋外で20-50 mの高さに揚げられ、不特定多数の人々に場所の目印とともに宣伝メッセージを標示する。
屋外のアドバルーン広告は夜間に於いても気球内照明やバナー照明などにより広告の掲示は可能であるが、強風(掲揚が中止される風速5 m/s以上)による事故のおそれもあり、掲示中は昼夜を問わず常時監視員が配置される。
アドバルーン広告は都道府県や市区町村が制定する屋外広告物条例の制限により、地域や施設により掲揚のできない禁止地域や広告の際の申請等が必要な場合がある。
歴史
係留気球で広告文を吊り上げるアドバルーン広告は、日本では1913年(大正2年)に化粧品会社(中山太陽堂など)が使用したのが最初とされる[1]。当初は広告気球と呼ばれていたが、第1次の隆盛期を迎えるにつれ昭和初期以降はアドバルーンの語が広く定着した[1][2]。
1936年(昭和11年)の二・二六事件では反乱将兵の鎮圧のため、帝国陸軍はビラやラジオ放送とともに民間のアドバルーンを使用して「勅命下る軍旗に手向かふな」との文字が掲げられた[2]。1930年代末以降になると、気球(アドバルーン)は兵器としても使用可能なことから民間での利用には制限がつくようになり、やがてアドバルーン広告は禁止された[1]。
戦後しばらくもGHQの命令により禁止されていたが[1]、1949年(昭和24年)から徐々に解禁され、1951年(昭和26年)の「繋留広告気球制限規定」の緩和により昭和30年代から40年代には大量に用いられ、第2次の隆盛期となった[1]。最盛期には1日100本以上の浮揚があり、年間1万本のアドバルーンが空を覆った[1][2]。
アドバルーン広告は広告幕の文字の大小の制限から広告を見るのに適した距離や高さ(仰角)があり、日本の都市部では超高層ビルの林立により宣伝効果が失われ[2]、またコストが高いため懸垂幕をはじめとする様々なビル壁面広告に多くが置き換わったことにより、平成初期(1990年代)までにはほとんど見ることができなくなった[1]。また、広告宣伝手段の多様化・発達により、相対的にコストパフォーマンスが低下してきたことも指摘されている[2]。
アドバルーン業界の現況
屋外用アドバルーン広告が衰退してから、屋外用として主に使用されている場所は、郊外の低層階の店舗やイベント会場、展示会場などである。そして、屋内展示場、見本市会場、イベント会場、大型ショッピングセンターなどの室内装飾に用いられることも多い[2]。
広告文を係留気球本体に巻き付けて係留するものや、宣伝文はなく自動車や魚、企業のキャラクターの形状などの変形気球が使われたり、屋内の展示場で屋上から吊り下げて使われるように、気球自体がブースの目印や広告媒体の役目を果たすものもある。
従来型の紅白アドバルーンは最盛期に比べ数は激減したが、今日では逆に物珍しさによって利用されることもある[3]。また、住宅展示場などでは場所案内への目印として使用されることもある。
また従来の紅白アドバルーンに取って代わり、特注品の変形バルーンが多くなっている。これらはキャラクターや各種メーカー品、企業ロゴなどが象られたもので、趣向を凝らしたものである[2]。他にも室内をホバリングする飛行船や出入り口に取り付けられるエアアーチといった応用商品も多く、これらは皆アドバルーン製作、掲揚の技術を応用、発展させたものである。更に、球皮がスクリーン加工され映像装置を内蔵したバルーンも製作されている。
業界では、これらを含めた宣伝広告用のバルーンをまとめてアドバルーンやインフレータブルバルーンと呼んでいることが多い。
脚注
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
アドバルーンに関連するカテゴリがあります。
外部リンク