アチェッラ (イタリア語 : Acerra ) は、イタリア共和国 カンパニア州 ナポリ県 にある都市であり、その周辺地域を含む人口約6万人の基礎自治体 (コムーネ )。
地理
ナポリ県概略図
位置・広がり
ナポリ県 北部に位置するコムーネで、市域の北はカゼルタ県 との県境となっている。ナポリ 中心部からは北東へ13km、カゼルタ から南南東へ14kmの距離にある[ 4] 。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のCEはカゼルタ県 所属を示す。
歴史
アチェッラは、この地方で最も古い都市のひとつである。おそらくはオスキ人 (英語版 ) によって、Akeru の名で建設された(ラテン語 : Acerrae )。
アチェッラは紀元前216年 、ハンニバル によって破壊された。紀元前210年 に再建されている。
同盟市戦争中の紀元前90年には、ローマ側がこの都市を拠点とした[ 5]
826年、ロンバルド人 はこの地に城を築いたが、この城はのちにナポリ公ボーノ (it:Bono di Napoli ) によって破壊された。881年にはサラセン人によって略奪を受けた。のちにこの地はノルマン人の所有に帰し、公爵領の首府となった。ナポリ王国 の一部として、領主はアキーノ家(Aquino)、オリーリア家(Origlia)、オルシーニ・デル・バルツォ家(Orsini del Balzo)と移り変わり、1496年以後1812年まではカルデナス家(Cardenas)の封土であった。
1927年まで、この都市はテッラ・ディ・ラヴォロ県 (Terra di Lavoro ) に属していた。
社会
環境問題
「死の三角地帯」
アチェッラ、マリリアーノ、ノーラ一帯では、不法な廃棄物処理によって深刻な健康被害が出ており、「死の三角地帯」(Triangolo della morte ) という不名誉な称号を得ている[ 6] 。これは1980年代頃から当地の犯罪組織カモッラ が有害廃棄物の不法投棄や焼却に関わった影響で、周辺地域ではがん患者などが増加している[ 6] 。
交通
鉄道
RFI (旧イタリア国鉄 )
なお、RFIのアチェッラ駅からは、FIATの工場とを結ぶ工業線 (it:Raccordo industriale di Acerra ) が出ている。
チルクムヴェスヴィアーナ鉄道
道路
アウトストラーダ
市域北東部をアウトストラーダ A30 が通過する。このほか、市域の西側(カイヴァーノ 、アフラゴーラ )を走るアウトストラーダ A1 、市域の南側(ポミリアーノ・ダルコ など)を走るアウトストラーダ A16 に囲まれている。アチェッラ市街地南西方のA1上に「アフラゴーラ・アチェッラ・ジャンクション」があり(所在地はアフラゴーラ市域)、高規格国道SS162NCと交差している。
国道
文化・観光
アチェッラ大聖堂
アチェッラ大聖堂(Cattedrale di Acerra)
アチェッラ大聖堂 (Acerra Cathedral ) は、もともとヘラクレスを祀っていた神殿の上に建設されたもので、19世紀に再建された。17世紀のバロック様式の絵画をおさめており、司教館を併設する。
コルプス・ドミニ教会(Chiesa Corpus Domini)
16世紀の建設
マリア・サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会(Chiesa di Maria SS. Annunziata)
15世紀の建設。12世紀につくられた受難像や、15世紀に描かれた受胎告知像(伝デッロ・デッリ作 (Dello di Niccolò Delli ) )がある。
サン・ピエトロ教会(Chiesa di san Pietro)
16-17世紀。
領主館 (Castello dei Conti di Acerra)
スエッスラ遺跡
スエッスラ (英語版 ) の考古遺跡は、町の郊外(40°59'23.47"N 14°23'53.41"E)にある。『ローマ建国史 』によれば、紀元前4世紀 に共和政ローマ とサムニウム が争った、第一次サムニウム戦争 中のスエッスラの戦い の舞台となった。
人物
著名な出身者
脚注
外部リンク
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