つきみ野(つきみの)は、神奈川県大和市の町名。現行行政地名はつきみ野一丁目からつきみ野八丁目。住居表示は、全域で未実施[5]。
地理
大和市北部に位置する。全域が東急電鉄による多摩田園都市の一環として開発された住宅街となっており、地域の中央に東急田園都市線つきみ野駅がある。また、三丁目に大和市立つきみ野中学校、神奈川県立大和高等学校がある。地域の東側を国道16号大和バイパスが通っている。
東・南は下鶴間、西は中央林間、北は相模原市南区上鶴間と接している。
地価
住宅地の地価は、2023年1月1日の公示地価によれば、つきみ野4丁目4番8の地点で24万8000円/m2、つきみ野8丁目10番30の地点で19万9000円/m2となっている[6]。
歴史
当地周辺は鎌倉時代より東海道の脇街道の小宿場町として「下鶴間村」という名前のあった歴史ある地であり、現在のつきみ野付近は下鶴間の田園地帯の一部であった。また、旧石器時代の石器や遺構が多く発見されている地域でもあり、1967年(昭和42年)頃、東急がつきみ野の開発を行った際には造成地から旧石器時代の18の遺跡が発掘され、これらは当時の旧石器時代観を大きく転換させる遺跡群であった。これらの遺跡群は東急の開発に因み、将来この地域が「月見野」と呼ばれる予定であったため、「月見野遺跡群」と命名された[7]。遺跡の発掘物や下鶴間村の歴史資料、その明治時代の農家の再現を「つる舞の里歴史資料館」にて見られる。
地名の由来
1965年(昭和40年)7月から[8]東京急行電鉄による宅地造成工事[7]が大和市北部第1地区として着手され[8]、5年後に完成した新しい町名として周辺に咲き誇っていた月見草に因んで[8]土地区画整理組合により「つきみ野」[9]と名付けられた。
沿革
町名の変遷
実施後
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実施年月日
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実施前
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つきみ野一丁目
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1970年2月1日
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下鶴間
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つきみ野二丁目
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つきみ野三丁目
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つきみ野四丁目
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つきみ野五丁目
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つきみ野六丁目
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つきみ野七丁目
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つきみ野八丁目
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世帯数と人口
2021年10月1日現在(大和市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 |
世帯数 |
人口
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つきみ野一丁目
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1,633世帯
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4,187人
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つきみ野二丁目
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415世帯
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1,009人
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つきみ野三丁目
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632世帯
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1,571人
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つきみ野四丁目
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527世帯
|
1,150人
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つきみ野五丁目
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665世帯
|
1,599人
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つきみ野六丁目
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426世帯
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1,088人
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つきみ野七丁目
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374世帯
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874人
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つきみ野八丁目
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556世帯
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1,298人
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計
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5,228世帯
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12,776人
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人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[要出典]。
事業所
2021年現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[16]。
丁目 |
事業所数 |
従業員数
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つきみ野一丁目
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38事業所
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456人
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つきみ野二丁目
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27事業所
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509人
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つきみ野三丁目
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19事業所
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163人
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つきみ野四丁目
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47事業所
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482人
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つきみ野五丁目
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37事業所
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283人
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つきみ野六丁目
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15事業所
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175人
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つきみ野七丁目
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11事業所
|
126人
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つきみ野八丁目
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8事業所
|
28人
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計
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202事業所
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2,222人
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事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
施設
その他
日本郵便
関連項目
脚注
参考資料