さいたま車両センター(さいたましゃりょうセンター)は、埼玉県川口市芝塚原(さいたま運転区についてはさいたま市南区南浦和)の南浦和駅南側に所在する東日本旅客鉄道(JR東日本)首都圏本部管轄の車両基地である。
2015年3月14日に従来の「浦和電車区」から組織変更を実施し、検修部門を「さいたま車両センター」へ、運転部門を「さいたま運転区」へ名称変更した[2]。
配置車両に記される略号
「都サイ」…首都圏本部を意味する「都」とさいたまを意味する「サイ」から構成される。
- 浦和電車区時代は「宮ウラ」(大宮支社を意味する「宮」と、浦和の電報略号「ウラ」から構成される)。
歴史
構内
本センターの敷地は東西方向に約65 m、南北方向に1,600 mと細長いもので、蕨駅北方から南浦和駅の手前約650 mまで及んでおり、一駅間がほぼ車両センターとなっている[3]。広さは東京ドームの約2倍となる9万 m2と広大なものである[3]。
本センターの最大留置可能数は280両である[3]。センター内には入出区線3線、洗浄線3線、電留線15線(0番線と9番 - 14番線は10両編成2本の縦列留置が可能)、交番検査線3線、車輪転削線1線、臨時修繕線2線がある[3]。
配置車両
配置車両は全て、電車である。2023年4月1日現在の配置車両は以下の通り[1][2]。
電車
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気動車
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機関車
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客車
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貨車
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合計
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820両
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0両
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0両
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0両
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0両
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820両
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電車
E233系電車1000番台(820両)
- 10両編成82本(101 - 176、178 - 183編成)820両が配置されており、京浜東北線と根岸線で運用される。
- 209系電車置換え用として2007年9月より配置され、同年12月22日から営業運転を開始した。
- 川崎駅付近で発生した脱線事故により、177編成のうち損傷の激しかった2両が2016年12月に廃車となり[6]、残る8両も2018年4月7日付で廃車され[7]、同月下旬より東京総合車両センターで解体処分となった。
過去の配置車両
103系
205系
209系・901系
- 0番台
- 1993年(平成5年)から2010年(平成22年)まで運用されていた。その後、房総地区で運用されている113系・211系の置換え用として転出が始まり、トイレ設置などの改造が行われた。
- 500番台
- 京浜東北線・根岸線運用車両のD-ATC設置工事に伴う予備車確保と導入後の輸送力増強や209系試作車置換えのために当時の習志野電車区および三鷹電車区から10両編成5本(50両)が転入した。しかし、その後のE233系1000番台投入に伴い2008年(平成20年)に4本が京葉車両センターに、2009年(平成21年)に1本が三鷹車両センターにそれぞれ転出した。
- 900番台
- 910番台
- 2006年(平成18年)に運用を離脱し、東大宮操車場に疎開回送の後、2008年(平成20年)1月に長野総合車両センターに回送され解体された。
- 920番台
- 2007年(平成19年)に運用を離脱し、東大宮操車場に疎開回送の後、長野総合車両センターに回送され解体された。
事業用車両
クモヤ143形
- 1が配置されていたが、東京総合車両センターに転出し、事業用車両の配置は無くなった。
大宮駅派出
大宮駅構内に大宮駅派出があり、異常時の初期対応などを行っている。
その他エピソード
- かつて、京浜東北線の車両の配置は浦和電車区(当時「北ウラ」)のほか、下十条電車区(北モセ)と蒲田電車区(南カマ)の3か所に分散していたが、1986年(昭和61年)3月3日のダイヤ改正の際に車両配置を浦和電車区に集約させ、下十条電車区は乗務員のみ配属の下十条運転区に、蒲田電車区は乗務員と横浜線の車両(1996年に大船電車区→鎌倉総合車両センター(現・鎌倉車両センター)に転出)の配置区となった。現在も下十条・蒲田は車庫として車両が留置されている。
- 乗務員が所属しているため2013年現在でもJR東日本の車両配置基地としては「車両センター」の名称を使用していなかったが、2015年3月16日からさいたま車両センターと改名された。同時に、乗務員配置を行う部署はさいたま運転区に分離設置された。車両センターに名称変更されていない車両基地は田端運転所・宇都宮運転所などがある。
- 209系電車0番台の側面大窓の改造工事に伴う予備車確保のため、当時の三鷹電車区に配置されていた500番台C515編成が当区に貸し出されて運用されたことがあった[9]が、編成番号札と所属区表記は「八ミツ」表記のままだった。一旦、三鷹電車区に返却の後、改めて転入して正式に当区配置のウラ84編成となり、ウラ90編成(901系A編成)を置換えた。
- ウラ91編成(901系B編成)・ウラ92編成(901系C編成)は、運用離脱時に当時の三鷹電車区からC514・C513編成をそれぞれ当区に転配し、ウラ83・ウラ82編成として置換えた。
- 当区を出入場する際には京浜東北線南行(大船方面)の線路を横断する必要があるため、敷地内私道上に踏切が設置されている。なお踏切には係員以外渡らないよう注意書きがある。
脚注
- ^ a b 交友社『鉄道ファン』2023年7月号 「JR旅客会社の車両配置表」
- ^ a b c d e ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2023夏 交通新聞社、2023年、p.68-69。ISBN 9784330024233。
- ^ a b c d e 交友社「鉄道ファン」1997年8月号「103系から209系へ開設35周年を迎える浦和電車区」記事。
- ^ 国労東京地本委員長逮捕 読売新聞 1965年4月30日 夕刊9頁
- ^ 交通新聞社「JR電車編成表2015夏」69頁記事。
- ^ ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.356。ISBN 9784330787176。
- ^ 交友社『鉄道ファン』2019年7月号 「JR旅客会社の車両配置表」
- ^ JR発足後も大阪環状線や大和路線などでも使用していたが、1995年4月より現行のものに変更。
- ^ 『鉄道ファン』 2006年7月号 交友社 POST P169
参考文献
- 交友社「鉄道ファン」1997年8月号「103系から209系へ開設35周年を迎える浦和電車区」
関連項目