お元気ですか高島忠夫です(おげんき - たかしまただお - )は文化放送のラジオ番組。
1984年10月1日、前番組『高島忠夫の気ままなジャンボ』から番組タイトルを変更。ここでは前番組についても併記する。
概要
当番組のパーソナリティを務めた高島忠夫[注釈 1]は細田勝(文化放送アナウンサー(当時))から交替する形で『ダイナミックジャンボ』のパーソナリティとして、1976年4月より、文化放送の平日午前の時間帯に登場。2年後の1978年4月より『ジャンボ』を残す形で『高島忠夫の気ままなジャンボ』に番組タイトルを変更。後に『吉田照美のやる気MANMAN!』で、吉田照美と20年間コンビを組んだ小俣雅子がアシスタントを務めた[注釈 2]。
1984年10月1日より、『お元気ですか高島忠夫です』に番組タイトルを変更。
1989年1月、昭和天皇崩御による自粛のため『高島忠夫ワイド』に番組タイトルを一時変更した[1]。
番組末期は裏番組の『玉置宏の笑顔でこんにちは!』(ニッポン放送)『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ)に聴取率[2]で押され、『ダイナミックジャンボ』以来、14年間の長きに渡って継続した『高島ワイド』は1990年4月改編で終了した。
パーソナリティ
放送時間
- 月曜日 - 金曜日 9:30 - 11:45 (『気ままなジャンボ』当時の1981年3月まで)
- 月曜日 - 金曜日 9:00 - 11:00 (1981年4月から『お元気ですか - 』終了時まで)
番組内コーナー
高島忠夫の気ままなジャンボ
9時台
- 高島忠夫のさわやかテレフォン
- 毎日出されるその日のテーマに沿って、暮らしの中で楽しい話題になるような内容のものや感想、意見を電話で募集。集まった回答の中から選ばれたジャンボ賞受賞者1名に1万円が贈られた[3]。
- ママ お話きかせて( - 1982年)
- 母と子の童話 お話がいっぱい(1982年 - )
- 今日のひとこと(1981年4月 - )
- 朝から言わせて〜電話だけがたよりです(1982年 - 1983年9月)
- きいてほしい胸のうち(1983年10月 - )
- 連続ラジオまんが おはようサザエさん (1981年 - )
- 奥さまステーション(1982年 - )
10時台
- 高島忠夫のピックアップミュージック
- むかしもいまもマイライフ( - 1982年)
- 味な話(1982年 - )
- ダイヤル相談〜しあわせのアドバイス( - 1983年3月)
- ハガキでコンテスト(1983年4月 - )
- なるほどなっとく(1982年10月 - )
- 今日から明日へ 気ままなはなし( - 1982年)
- 今日から明日へおめでとう(1982年 - )
- 親子バンザイ 僕も私も書きくけこ( - 1983年3月)
- 愛こそすべて(1983年4月 - )
11時台(1981年3月まで)
- ジャンボ週刊誌
- 高島忠夫のジャンボ・トピックス
- 気ままなサロン
- 東急ストア ママ大学
お元気ですか高島忠夫です
9時台
- 今日もいい日に( - 1988年9月)
- 小僧寿しチェーン 元気モリモリ高島忠夫です(1988年10月 - )※NRN各局にもネットされた。
- おはようサザエさん( - 1988年3月)
- 味な話(1988年4月 - )
- NISSAN奥さまステーション( - 1989年9月)
- 高島忠夫の本気でトーク(1989年10月 - 最終回まで)
- ラジオマガジンP.and
- とっておき情報
10時台
- ハガキでコミック
- ダイヤル人生相談
- はつらつリクエスト
- 今日から明日へおめでとう
脚注
注釈
出典
- ^ 日本民間放送連盟(編)「ナマ中心で生活情報の提供を重視 民放ラジオ全局アンケートから / 編集部」『月刊民放』第19巻第5号、日本民間放送連盟、1989年5月1日、30頁、NDLJP:3471041/16。
- ^ 1989年12月の調査では『笑顔でこんにちは!』 - 4.0%( = 首都圏の全ラジオ番組中、1位)、『ゆうゆうワイド』- 3.6% 出典:月刊ラジオパラダイス 1990年4月号内の記事
- ^ 『ラジオライフ』第2巻第6号、三才ブックス、1981年9月1日、25頁。
文化放送 平日 9:30-11:45 → 9:00-11:00 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
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高島忠夫の気ままなジャンボ ↓ お元気ですか高島忠夫です
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関連人物 | |
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関連項目 | |
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