あまん きみこ(本名(旧姓):阿萬 紀美子(読み同じ)[1]、1931年〈昭和6年〉8月13日 [1]- )は、日本の児童文学作家。
旧満洲撫順市に生まれる[2]。父は宮崎県出身で南満州鉄道(満鉄)系列会社の社員だった[2]。あまんは一人娘で、祖父母や叔母も含めて満鉄の社宅で暮らした[2]。小学校入学時は新京(現在の長春市)在住だったが、当時は病弱だったという[2]。小学3年生の時に大連市に移り住み、(病弱だった新京時代に対し)「私の記憶には大連の日々しかありません」と述べている[2]。その一方、病床で家族から民話・寓話の語りを聞いたり本を読んだことがきっかけで「窓から空を眺めながら、空想でお話を作ることが好きでした」とも述べている[3]。2020年に刊行した絵本『あるひあるとき』は満州時代の体験がモチーフとなっている[2]。
1944年に進学[2]し、大連神明高等女学校(中国語版)2年生のときに終戦を迎える[4]。当時父は出征中(祖父はすでに死去)で女性ばかりの家族は、ソ連軍占領下の大連で2年近くを過ごす[2]。身の安全のため家族は頭髪を刈り上げ、あまんは男子の制服を借りて着たという[2]。1947年3月に一家で大阪に帰国し[2]、大阪府立豊中高等女学校(在学中に大阪府立桜塚高校と改称)に編入し、同校を卒業する[5]。乳癌に罹患した母があまんの将来を案じたために19歳で婚約した[3]。母はその翌日に死去(1950年)[2][3]。20歳の時に結婚して、夫の転勤に伴い東京に移住した[2][3]。
その後、勉学の意欲に駆られ日本女子大学児童学科通信教育部に入学[6]、与田準一を知る。与田の勧めで坪田譲治主宰の「びわの実学校」に「くましんし」を投稿し評価を得て、同人となる。1968年、「びわの実学校」発表作品を集めた『車のいろは空のいろ』を出版し[7]、第1回日本児童文学者協会新人賞[8]、第6回野間児童文芸推奨作品賞を受賞した[9]。
「ちいちゃんのかげおくり」「おにたのぼうし」「白いぼうし(『車のいろは空のいろ』シリーズの一篇)」など、あまんきみこ作品は東京書籍や教育出版等多くの小学校国語の教科書に掲載されている[10]。
2020年時点では、京都府長岡京市在住[2]。
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