神策軍護軍中尉,為唐朝禁軍最高將領,分左、右二人。
地位
唐德宗時,以北军不可恃,置神策军为天子禁军,以宦官充护军中尉领之。
《新唐书》宦官传·窦文场霍仙鸣传:“德宗还京,颇忌宿将,凡握兵多者,悉罢之……贞元十二年六月,特立护军中尉两员、中护军两员,以帅禁军,乃以文场为左神策护军中尉,仙鸣为右神策护军中尉。”
历任护军中尉
- 前身
- 观军容宣慰处置使知神策军兵马事:鱼朝恩(宦官,763年-770年)
- 神策都知兵马使:刘希暹(武人,770年-771年)
- 神策都知兵马使:王驾鹤(武人,771年-779年)
- 神策都知兵马使:白志貞(武人,779年-783年)
- 监勾当左厢神策军:竇文場(宦官,784年-796年)
- 监勾当右厢神策军:王希迁(宦官,784年-793年)
- 监勾当右厢神策军:霍仙鸣(宦官,793年-796年)
- 左神策军
- 右神策军
参考文献