歌川國芳(日语:歌川 国芳/うたがわ くによし Utagawa Kuniyoshi,1798年—1861年),号一勇齋、彩芳舍、朝櫻樓、雪谷、仙真等,為日本活動於江户时代末的浮世绘师,運用新奇的設計,天馬行空的想法和扎實的繪畫能力,突破浮世繪的框架創造許多吸引人的作品。是浮世繪歌川派晚期的代表繪師之一。
生平
歌川國芳和另一位以風景畫聞名的歌川派大師歌川廣重同年出生。幼名井草芳三郎,後名孫三郎。父親是經營絲綢染坊的柳屋吉右衛門,在帮助父亲料理生意的同时对艺术产生兴趣。先拜歌川国直為師,後於1811年被初代歌川豐國看中並收為弟子,1814年出師,並取藝名歌川國芳。
和歌川派其他画家一样,他开始是创作戲画,但生意不佳,几年后不得不以修理榻榻米为生。后来偶遇歌川国貞,觉得自己的才能其实高过对方,于是刻苦努力,画出的一些武者三联画得到好评。1827年开始创作著名的水滸傳豪傑百八人系列。30年代早期多創作山水風景畫、40年代创作了大量的美人绘和武者绘。
歌川國芳还因为画猫而著名,经常在画面角落里带上猫。据弟子说他爱猫到作坊里到处养猫的地步。
1842年幕府包括禁止演員、藝妓繪的道德整肃中,歌川國芳被捕而且交了罚款。50年代后,他的作品品質开始下降,晚年受疾病和忧郁的困扰。1861年死于江戶(今东京)。
他最著名的一个学生是月岡芳年。
影响
作品画廊
参考文献
- 概說書
- 画集
- 展覽會圖錄
- 朝日新聞社編 『鉄火の浮世絵師 国芳展』 朝日新聞社、1972年
- 太田記念美術館編 『太田記念美術館所蔵 肉筆浮世絵名品展』 太田記念美術館、1985年
- 太田記念美術館編 『歌川国芳とその一門展』 太田記念美術館、1990年
- 鈴木重三監修 『生誕二百年記念 歌川国芳展』 日本経済新聞社発行 ※名古屋市博物館1996年10-12月、千葉市美術館1997年1-2月、サントリー美術館2-3月。
- 太田一斎編 『歌川派二百年と七代目歌川豊國』 歌川豊國興隆会、2002年
- 『歌川国芳 奇と笑いの木版画』 府中市美術館、2010年
- 『破天荒の浮世絵師 歌川国芳』 浮世絵 太田記念美術館・NHKプロモーション、2011年
- 岩切友里子監修 『没後150年 歌川国芳展』 日本経済新聞社発行 ※大阪市立美術館2011年4-6月、静岡市美術館同年7-8月、森アーツセンターギャラリー同年12月-2012年2月。
- 柏木智雄・内山淳子・片多祐子著、横浜美術館企画監修 『はじまりは国芳 江戸スピリットのゆくえ』 大修館書店、2012年
- 長井裕子編集 『夏季特別展 福を招く! 猫じゃ猫じゃ展』 那珂川町馬頭広重美術館、2014年7月4日
外部連結