飯塚淳一郎(いいづか じゅんいちろう、1887年10月15日 - 1967年6月23日)は、日本の歯学者。大阪歯科大学初代学長。
その後、占領軍の統治下となった日本では教育機関の整理が行われ、大阪歯科医学専門学校も廃校になるという噂が流れる。それを聞いた淳一郎は占領軍の最高司令官のもとへ行き、日本における歯科教育の必要性を訴えた。その熱意により学校は「大阪歯科大学」と名を変え存続、淳一郎は大学長・理事長などを歴任し、歯学界の発展に絶大な指導力を発揮した。