諏訪部 道順(すわべ どうじゅん)は江戸時代中期の旗本。江戸幕府御馬預。
経歴
江戸時代旗本諏訪部堅雄と先妻の子として生まれた。宝暦元年(1751年)3月19日15歳で徳川家重に御目見し、宝暦3年(1753年)11月8日御馬方見習、宝暦6年(1756年)9月24日御馬預となり、同日廩米150俵を賜った。
宝暦10年(1760年)4月1日家重の御召御馬御預となり、江戸城西ノ丸に勤めたが、宝暦11年(1761年)8月3日本丸勤務となった。宝暦12年(1762年)4月相模国鎌倉、明和元年(1764年)10月武蔵野へ遠馬を命じられた。明和2年(1765年)8月大川筋御成の際、馬上川渡を披露した。明和3年(1766年)10月下総国真間、明和4年(1767年)4月鎌倉へ遠馬した。安永2年(1773年)10月10日父が城外への御供を免じられた際、代わりに定御供を命じられた。安永5年(1776年)4月徳川家治の日光社参に供奉した。安永8年(1779年)8月鎌倉へ遠馬した。
寛政3年(1791年)7月23日父の病気により職務を引き継ぎ、10月4日家督を継いだ。寛政4年(1792年)6月13日臨時の褒賞を受けた。寛政5年(1793年)7月28日預かっていた鐙を紛失し、譴責を受けた。寛政6年(1794年)6月24日58歳で致仕し、道順と号した。
親族
- 父:諏訪部文九郎堅雄
- 母 - 長山藤右衛門直張の娘。
- 継母 - 松平五郎右衛門忠敦の娘。
- 弟:諏訪部伝五兵衛堅寛 - 清水重好に仕えた。
- 妹 - 高木左京正雄の妻。
- 妹 - 山角藤兵衛定慰の妻。
- 弟:諏訪部為之助
- 先妻 - 小野朝右衛門高儔の娘。
- 後妻 – 青山三右衛門宣長の娘。
- 子:諏訪部八之助 – 夭折。
- 娘 – 村松代七歳釐の妻。
- 子:諏訪部文右衛門定昭(さだあきら) - 寛政3年(1791年)12月10日御馬方の見習となり、寛政6年 (1794年)6月24日家督を継いだ。
- 子:鶴八郎左衛門定守 – 鶴武左衛門正記の養子。
- 子:山角万吉定政 – 山角藤兵衛定慰の養子。
- 娘 – 安藤達次郎定矩の妻。
- 子:諏訪部千太郎定功(さだなり)
脚注
参考文献