西川 久壽男 (にしかわ くすお、1908年 - 2008年)は、長野県の教育者、書家。雅号は秋象(しゅうしょう)。
来歴・人物
長野県生まれ。生家の西川豊後守藤原社家は「家学(かがく)」として、代々有職故実、太鼓・鼓・笛・和歌・書などに嗜んできた。
三重県伊勢市の旧制神宮皇學館附属中学(現皇學館中学校・高等学校)在学中から、書を尾上柴舟(書家・歌人、女子学習院《現学習院女子大学》教授)に師事し、18歳で院展入選、書家活動を開始。官立神宮皇学館大学歴史科卒業後、同政教学部卒業。
その間、尾上柴舟の紹介で京都大学・吉澤義則教授の研究室(国文学)に足繁く通い、教えを受ける。北京大学、台北大学などの講師を務める[1]。
終戦後は、父(西川壽美恵)の隠居所である安曇野市三郷明盛の三柱神社[2]に戻り、GHQ指令による長野県内の神社地調査・文化財調査などを担当し、神社庁設立に尽力し初代事務局を務めた。
長野県松本県ヶ丘高等学校教諭を17年務め、長野県木曽東高等学校(現長野県木曽青峰高等学校)分校長として赴任。定時制・通信制教育の充実などに務めた。その後、木曽東高校教頭、松本筑摩高校、白馬高校などを務めている。教え子には汲田克夫(大阪教育大学名誉教授、大阪工業大学教授)、玉村和彦(同志社大学名誉教授)などがいる。
主な書作品
など
著書
- 『道祖の神と石神様たち』(穂高神社)
- 『穂高町の石造文化財』(共著)
- 『日本の文字いろは』(日本文化フォーラム)
- 『小倉百人一首への誘い』(「京都 西川家」総合文化研究所)
参考文献・脚注
外部リンク