萩埜(はぎの)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-2311[2]。
地理
北は立埜原、本埜小林、北東は甚兵衛、東は長門屋、南は中、西は行徳、北西は下曽根に隣接している。
飛び地があり、萩原、桜野に隣接している。
小字
小字は以下の通り[4]。
- 上割(かみわり)
- 中割(なかわり)
- 堤外(ていがい)
- 出津(いでづ)
歴史
江戸期は松虫新田であり、下総国印旛郡のうち、笠神埜原新田に属する。寛文年間笠神村御立野原を開発、成立した萩原村の持添新田。寛文11年国手形寺請状改綴によれば、入百姓12、出身地は上野国館林領9、武蔵国羽生領3(吉植家文書)。はじめ幕府領、元禄14年から佐倉藩領、享保8年から再び幕府領、天保10年から浜松藩領、弘化2年幕府領となるが同4年から再び浜松藩領。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに見えず、「旧高旧領」45石余。江戸中・後期は笠神埜原新田10か村組の1つで、天保3年十ヶ村請免状写によれば、畑・埜地から成り反別9町3反余、このほかに延享3年の検地による反高埜畑1町9反余があり、永82文余を納入(吉植家文書)。明治6年千葉県に所属。神社は鳥見神社(印旛郡誌)。明治22年埜原村の大字となる[5]。
年表
- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 埜原村大字萩原新田となる。
- 町村制施行し、下曽根新田、下井新田、松木新田、将監新田、中田切新田、長門屋新田、和泉屋新田、佐野屋新田、甚兵衛新田、中根新田、行徳新田、松虫新田、押付新田、萩原新田、安食卜杭新田の大部分、小林新田、酒直卜杭新田が合併し埜原村が発足。
- 1910年(明治43年) - 埜原村大字萩原となる[5]。
- 1913年(大正2年)4月1日 - 本埜村萩原となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 印西市萩埜となる[6]。
- 印旛村・本埜村が印西市に編入。萩原が改称し、印西市萩埜となる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
交通
道路
施設
脚注