茂怜羅 オズ(もれいら おず、1986年1月21日 - )は、リオデジャネイロ出身で日本に帰化したビーチサッカー選手、ビーチサッカー指導者。日本代表選手兼監督。ポジションはフィクソ。
FIFAビーチサッカーワールドカップでは最優秀選手を争う実力者で、2019年大会では実際に最優秀選手に輝いた[1][2]。また、世界最高のフィクソとも呼ばれ[3][4]、高い身長から繰り出される精確な長距離フリーキックも武器である[1][5][6]。また、2019年には日本代表史上初の100得点を記録した[6]。
クラブ歴
1986年にオスマル・モレイラの名でリオデジャネイロのコパカバーナに生まれた。6歳の時にコパカバーナのビーチでビーチサッカーを始め[3]、将来のブラジル代表を担う選手の一人として期待されていた[5]。10歳の時にはコパカバーナで行われたブラジル代表の試合の前座として彼の所属したスクールは5000人の観客の前で親善試合を行った[5]。また幼少期にはビーチサッカーと並行してサッカーも行っており、実際に14歳の時にはCRヴァスコ・ダ・ガマの下部組織に加入[7]、サッカークラブからのオファーも相次いでいたが[3]、スパイクを履いている自分に違和感を覚え16歳でビーチサッカーを選択した[7][3][5]。
ブラジル代表に嘱望される人材であったものの、本人はブラジル代表には全く興味がなく、興味の方向は海外でプレーし新たな文化に接する事であった[6]。2006年に渡独、ウニオン・ブラジルに加入した[7]。
2007年、21歳で沖縄県に本拠地を置くレキオスFCに加入[7]。日本については大した知識も持ち合わせていなかったものの、沖縄の人間の温かみや日本の便利さ、安全さに心を打たれた[7][5]。2009年にレキオスは東京に移転[7]。その後は同じくブラジル出身でビーチサッカー日本代表監督を務めていたラモス瑠偉と接し、日本へ帰化するために助力を受けた[7][6]。2012年12月12日に帰化[7][4][6]、すぐに日本代表にも招集されるようになった[7]。
2015年にFCバルセロナに加入、ムンディリアート・ジ・クルーベスで優勝[7]、また同年に沖縄県にコパカバーナ・ビーチサッカースクールを設立した[8]。2016年にはFUSIONに籍を置きながら、イタリアのヴィアレッギオでプレーし、イタリアリーグ史上2人目の日本人選手となった他、ユーロウィナーズカップを制した[9][5]。その後もロシアのFCシティ、BSCロコモティフ・モスクワ、ポルトガルのスポルティングCP、イスラエルのクファル・カシームBSCでもプレーした。2017年にJリーグクラブでは初めてビーチサッカーに進出した東京ヴェルディBSに加入[10]。選手兼任監督を務めながら、さらにスポンサー営業も自ら行っている[11]。さらに2020年には日本のクラブとして初めてムンディリアート・ジ・クルーベスに進出させた[11]。
代表歴
代表初の大会となったAFCビーチサッカー選手権2013では最優秀選手に輝き[1]、2013 FIFAビーチサッカーワールドカップでは主将を務めてシルヴァーボールに輝いた[12]。2014年に始まったビーチサッカー・スターズでは初年度からベストファイブに選出され、以降も毎年のように選出されている[2]。
AFCビーチサッカー選手権2015では得点王の一人に輝いた[1]。
AFCビーチサッカー選手権2019では得点王兼最優秀選手賞に輝き、日本代表も史上初の優勝を果たした[13]。同年のワールドビーチゲームズのウルグアイ代表戦で代表100得点目を記録[14]、翌月のビーチサッカーインターコンチネンタルカップで代表100試合出場を達成した[2]。2019 FIFAビーチサッカーワールドカップでは4位に輝き、これは2005年大会以来三度目の日本代表史上最高記録、自身はゴールデンボールに輝いた[15]。
2020年7月に日本代表監督に就任、選手兼任監督となった[16]。監督として初めて臨んだ2021 FIFAビーチサッカーワールドカップでは準優勝し、日本代表史上最高記録となった。
参考文献
外部リンク