米田 規矩馬(よねだ きくま、1891年(明治24年)2月1日[1] – 1974年(昭和49年)10月28日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。
広島県双三郡吉舎町(現在の三次市)出身。1918年(大正7年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業し、弁護士を開業した[1]。
1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第18回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。その間、犬養内閣で三土忠造逓信大臣の秘書官となり、斎藤内閣でも三土鉄道大臣の秘書官を務めた[2]。
その後、吉舎町長に就任した[2]。