第七号輸送艦 (だいななごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の7番艦。離島への輸送任務中に撃沈された。
艦歴
マル戦計画の計画名特務艦特型、仮称艦名第2907号艦として計画。1944年4月1日、三菱重工業横浜造船所で建造番号552番船として起工。5月10日、第七号輸送艦と命名。同日付で第一号型輸送艦の7番艦に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。7月3日進水。8月15日竣工[注釈 1]し、本籍を横須賀鎮守府に定められ、連合艦隊附属に編入。輸送任務に従事。
8月31日、3830船団(3隻[注釈 3])を本艦ほか2隻[注釈 4]で護衛し硫黄島へ向け館山発。同日、潜水艦を探知し爆雷戦を行う。
9月1日、「父島方面敵機動部隊策動」の知らせにより、船団は八丈島への避難を命じられる。2日、八丈島神湊に入港。4日、船団は常用石炭不足となった常磐山丸を残し、八丈島発。8日、父島二見港に入港。11日、父島を発し硫黄島へ向かったが、同日第二博運丸が被雷沈没したため救助を行う。本艦は八丈島での揚塔を命じられ、揚塔後横須賀へ帰投。25日、連合艦隊隷下に新編された第二輸送隊に編入。
12月27日、硫黄島輸送作戦中、硫黄島東方でアメリカ駆逐艦と交戦し沈没した。
1945年3月10日、第七号輸送艦は第一号型輸送艦と第二輸送隊から削除され、帝国輸送艦籍から除かれた。
艦長
- 艤装員長
- 篠田良知 少佐:1944年7月31日 - 1944年8月15日
- 輸送艦長
- 篠田良知 少佐/中佐:1944年8月15日 - 1944年12月15日
- 鳥海金吾 中佐:1944年12月15日 - 1945年1月5日
脚注
- 注釈
- ^ a b 本艦の竣工日は通説では1944年8月10日だが、本艦の本籍設定、定員の制定、士官人事の発令は全て1944年8月15日付で施行されており、これら日付の訂正記録は存在しない。なお当時の日本海軍では、艦の竣工後も艤装員長を置き続ける慣習は無い。
- ^ 『丸スペシャル』および『特務艦一般計画要領書』による。『日本海軍特務艦船史』では「ホ号艦本式水管缶2基」とある。
- ^ 海軍徴傭船常盤山丸、同第二博運丸、特設運送船拓南丸。
- ^ 本艦、八十島、特設駆潜艇第十拓南丸。
- 脚注
参考文献
- 海軍省
- 法令、令達
- 昭和19年5月10日付 達第53号、内令第661号、内令第663号ノ2、内令員第809号。
- 昭和19年8月15日付 内令第967号、内令員第1496号、内令員第1497号。
- 昭和19年9月25日付 内令第1112号。
- 昭和20年3月10日付 内令第209号、内令第224号、内令第228号、内令員第478号、内令員第479号。
- 人事発令
- 昭和19年8月6日付 秘海軍辞令公報 甲 第1555号。
- 昭和19年8月21日付 秘海軍辞令公報 甲 第1570号。
- 昭和19年12月19日付 秘海軍辞令公報 甲 第1673号。
- 昭和20年1月10日付 秘海軍辞令公報 甲 第1689号。
- 戦時日誌
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 『新造船建造史』、三菱重工業株式会社横浜製作所、1988年。
- 世界の艦船 No. 522 増刊第47集 『日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年。
- 日本造船工業会 『特務艦一般計画要領書』。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 50 日本海軍艦艇シリーズ 『掃海艇・輸送艦』、潮書房、1981年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。
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一等 |
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二等 |
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- a. 起工済未成艦
- b. 竣工後雑役船へ編入
- c. 特設輸送艦籍のまま除籍
- d. 命名前または命名後陸軍へ配当
- e. 陸軍への配当後海軍へ移管
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