南北戦争中に第1軍団(I Corps)の名称が用いられた北軍の軍団は3つあった。一つはアレクサンダー・マクックが指揮したオハイオ軍/カンバーランド軍所属の部隊、一つはジョージ・モーガン(George W. Morgan)が指揮したミシシッピ軍所属の部隊であるが、存続期間はそれぞれ1862年9月29日から同年11月5日、1863年1月4日から同年1月12日までと短期間であった。もう一つがポトマック軍及びバージニア軍に所属した第1軍団であり、北軍の中でも最も有名かつ戦闘経験豊富であり、また多くの有名な指揮官がその指揮をとった。この記事ではポトマック軍第1軍団を記述する。
第1軍団の最後の主たる戦闘はゲティスバーグの戦いである。1863年7月1日、第1軍団は戦場に到着したが、その日に軍団長のレイノルズ少将は戦死し、第3師団長ダブルデイ少将が指揮を引き継いだ。第1軍団は猛烈に戦ったが、南軍の第3軍団(A・P・ヒル中将)及び第2軍団(リチャード・イーウェル中将)のローズ師団( Robert E. Rodes)に圧倒された。結果第1軍団は市内から撤退しセメトリー・ヒルに防衛線を引いた。翌日、第6軍団第3師団長のジョン・ニュートン少将が第1軍団の指揮を執ることとなった。この異動は論争となるところであり、先任であったダブルデイの気分を大きく害した。ニュートンは戦闘の残りの間指揮を執り続け、ピケットの突撃を頓挫させただけでなく、11月27日-12月2日のマイン・ランの戦いでも第1軍団長を務めた。