稲賀 幸(いなが こう、1894年(明治27年)12月13日 - 1974年(昭和49年)10月)は日本の医師。元稲賀外科医院長。元鳥取県会議長稲賀龍二の孫。妹しげのは元郵政大臣手島栄の妻。鳥取県済生会境港総合病院院長稲賀潔の祖父。
経歴
鳥取県境港市上道町出身。
米子中学(現米子東高校)、京都の第三高等学校を経て
大正10年(1921年)東大医学部卒業[1]。東大外科教室勤務[1]。
大正11年(1922年)順天堂医院レントゲン科兼務[1]。
大正14年(1925年)米子病院外科部長[1]。
昭和20年(1945年)米子医専教授[1]。昭和23年(1948年)
退官し上道に稲賀外科医院を開業[1]。
西伯郡医師会長及び鳥取県医師会副会長、鳥取県西部医師会副会長、上道公民館長も歴職した[1]。
人物像
趣味は囲碁、謡曲、写真[1]。宗教は大社教[1]。住所は境港市上道町[1]。
家族 親族
- 妹・しげの(官僚、政治家・元郵政大臣手島栄の妻)
- 妻・節子(米子市道笑町、三好盛一の姉)[1]
叙位叙勲
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 イ…61頁。
- ^ 『境港市史 下巻』(昭和61年(1986年 889頁)
外部リンク