稲葉 知通(いなば ともみち)は、豊後国臼杵藩の第6代藩主。
略歴
第4代藩主・稲葉信通の三男。母は織田信良の娘[1]。正室は溝口重雄の娘。子は稲葉恒通(次男)、稲葉通大(三男)。官位は従五位下、能登守。初名は通周。通称は市正。
元禄7年(1694年)、兄で先代藩主の景通が死去したため、その跡を継いだ。藩政においては道路改修や商業発展などに尽力した。宝永3年(1706年)4月15日、55歳で死去し、跡を次男の恒通が継いだ。墓所は東京都港区高輪の東禅寺。
系譜
父母
正室
子女
知通は複数の有名な戦国武将の子孫である。本能寺の変は明智光秀が織田信長を襲撃し、自害に追い込んだことで著名であるが、知通は両者の玄孫に当たる。また細川忠興の曾孫、丹羽長秀の玄孫、斎藤道三の来孫でもある。
仁孝天皇は知通の来孫に当たる[2]。
脚注
- ^ a b c 稲葉信通の正室・光浄院と継室・天量院はそれぞれ織田信良の次女と三女であるが、知通の母がどちらかは不詳。
- ^ 知通-恒通-女(勧修寺顕道室)-経逸-婧子(光格天皇典侍)-仁孝天皇
稲葉氏 臼杵藩6代藩主 (1694年 - 1706年) |
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