七代目 相川 文五郎(ななだいめ あいかわ ぶんごろう、前名・誠之助[1][2][3]、1875年(明治8年)11月29日[4] - 1934年(昭和9年)7月18日[5])は、日本の資産家[6]、神奈川県多額納税者[1][2][7]、地主[3]、名望家[8]、実業家、政治家。族籍は神奈川県平民[4][9]。
人物
神奈川県人、六代文五郎の二男[2]。1894年、家督を相続し襲名して前名・誠之助を改めた[1][2]。神奈川県知事有吉忠一の懇請により神奈川県農工銀行の監査役だったが1925年これを辞し、家業の農業を営み六浦荘村信用組合長に挙げられ、直接国税9927円を納め神奈川県多額納税者であった[2]。また郡会議長を務めた[4]。住所は神奈川県久良岐郡六浦荘村[4]。
栄典
家族・親族
- 相川家
- 親戚
脚注
参考文献
- 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 交詢社編『日本紳士録 第26版』交詢社、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第29版』交詢社、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』大蔵省印刷局、1986年。