田中 正義北海道日本ハムファイターズ #26 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
神奈川県横浜市鶴見区 |
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生年月日 |
(1994-07-19) 1994年7月19日(30歳) |
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身長 体重 |
188 cm 93 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2016年 ドラフト1位 |
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初出場 |
2018年4月1日 |
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年俸 |
3600万円(2024年)[1] |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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派遣歴 |
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田中 正義(たなか せいぎ、1994年7月19日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
経歴
プロ入り前
横浜市立上末吉小学校1年生のときに駒岡ジュニアーズ[2]で投手として野球を始めた[3]。横浜市立末吉中学校[2]では川崎中央リトルシニアでプレーし、全国大会への出場は無かった[4]。
創価高校では1年夏に背番号1を背負い、工学院大附との5回戦で公式戦初登板となり、6回無失点に抑えた[5]。ただ、早稲田実業との準々決勝では、四球からピンチを招いて適時打を許す投球内容であり、3回途中で降板して[6]チームも敗れた。1年冬に右肩を痛めて野手へ転向し、2年秋にはチームの主将に就任[5]。3年夏は『4番・センター[7]』を務めた一方、投手としてもスタンバイ[5]。実践学園との4回戦では打者として2点本塁打を放つと、7回にエースの池田隆英が負傷降板して緊急登板となり、リードを守り抜いて投打に活躍した[8]。同大会ではベスト4[9]、甲子園出場経験は無し[10]。
創価大学への進学後は本格的に投手へ転向し、1年時はフォーム作りとトレーニングに専念[5]。2年春、東京新大学リーグの共栄大戦で公式戦初登板となり、最速151km/hを計測して11奪三振完封勝利を挙げた[11]。ベスト4に進出した全日本大学野球選手権[12]では特別賞を受賞[13]。2年秋には明治神宮大会に出場し、ベスト4に入った[14]。3年時はユニバーシアード代表に選出され[15]、6月29日のNPB選抜との壮行試合で7者連続奪三振を記録し、大きな注目を集めた[9]。3年秋のリーグ戦ではノーヒットノーランを記録[16]。2016年3月に開催された侍ジャパン強化試合の代表メンバー[17]としてオファーを受けていたが、右肩の違和感で辞退した[14]。4年春のオープン戦には登板し[13]、杏林大との春季リーグ開幕戦に先発。7回に失点を喫し[18]、3年春から継続していた『リーグ戦での連続イニング無失点』が56回で止まった[13]。続く共栄大とのリーグ戦での登板前、ブルペンでの投球時に右手中指の爪を割ってしまい、2回を投げ終えたところで降板[19]。その後は右肩の違和感で登板が無く[20]、4年春のリーグ戦は2試合の登板に終わった[14]。7月中旬には右足の太ももの裏の肉離れを発症したが[21]、痛めていた右肩は回復し[22]、4年秋のリーグ戦で155km/hを計測[23]。10月3日にプロ志望届を正式に提出した[24]。
10月20日に開催されたドラフト会議では、5球団から1位指名を受け、抽選の結果、ソフトバンクが交渉権を獲得した[25][26]。11月19日に契約金1億円プラス出来高払い5000万円・年俸1500万円(金額は推定)で入団に合意[27]。同22日に新人選手入団会見が行われ、背番号は25と発表された[28]。球場で表示される登録名は「田中正義」[29]。
ソフトバンク時代
2017年は春季キャンプをA組でスタートしたが[30]、2月23日の紅白戦での登板[31]以降は疲労の蓄積により、実戦登板から離れることとなり、開幕を二軍で迎えた[32]。右肩には違和感があり[33]、3月中旬から1か月半ほどノースロー調整が続いた[34]。6月23日の西部ガスとの三軍戦で実戦復帰したが[35]、同29日に右肩の張りを訴えてキャッチボールを回避し、ウエスタン・リーグ公式戦での登板予定が延期[36]。再び実戦登板から離れることとなり[37]、8月23日の三軍戦で実戦復帰[38]。9月23日、ウエスタン・リーグの阪神タイガース戦で公式戦初登板となり、3回2安打2失点であった[39]。ルーキーイヤーの一軍登板は無く、二軍でも1試合の登板にとどまり[40]、オフに50万円減となる推定年俸1450万円で契約を更改した[41]。
2018年は春季キャンプをB組でスタートしたが[42]、2月24日のA組紅白戦に参加して2回無失点と好投すると[43]、同27日にA組へ昇格[44]。オープン戦では7試合の登板で防御率1.93と結果を残し[45]、リリーフとして開幕を一軍で迎えた[46]。4月1日のオリックス・バファローズ戦でプロ初登板となり、吉田正尚にソロ本塁打を打たれて1回1安打1失点であった[47]。その後はリリーフとして一軍登板を重ねるも、被本塁打が非常に多く[48]、5月24日の埼玉西武ライオンズ戦では被本塁打こそ無かったが、1回3安打3四球3失点の乱調[49]。これが5試合連続での失点となり[50]、翌25日に出場選手登録を抹消された[51]。抹消後は二軍で4試合に登板して防御率2.66を記録していたが、6月22日の二軍戦を最後に登板が無く[52]、7月中旬からは体調を崩して約1か月間自宅療養となった[53]。8月中旬にリハビリ組に合流したが[54]、その後の公式戦登板は一二軍ともに無かった。シーズン終了後のフェニックスリーグでは、3試合に先発して防御率0.75を記録[55]。ただ、レギュラーシーズンでは一軍で10試合に登板して0勝1敗・防御率8.56という成績にとどまり[55]、オフに50万円減となる推定年俸1400万円で契約を更改した[53]。
2019年は春季キャンプをA組でスタートするも[56]、2月20日の紅白戦での登板を最後に、右肩の張りで別メニュー調整が続き、同28日にリハビリ組への合流が決まった[57]。開幕を二軍で迎えると、4月3日にはインフルエンザに感染[58]。調整が遅れ、実戦復帰は6月5日の二軍戦であった[59]。7月9日に出場選手登録され[60]、翌10日の西武戦、2点リードの5回表に先発の和田毅が同点を許し、なおもピンチの場面でシーズン初登板となったが、2点適時三塁打を打たれ、続投した6回表は2四球を与えて降板[61]。田中自身に失点は記録されなかったが[62]、その後の登板機会は得られず、7月16日に出場選手登録を抹消された[63]。抹消後の一軍再昇格は果たせずにシーズンを終え、この年の一軍登板は1試合のみに終わった[64]。シーズン終了後にはプエルトリコのウィンターリーグに派遣され[65]、同リーグでは6試合(3先発)の登板で防御率1.80を記録した[66]。オフに100万円減となる推定年俸1300万円で契約を更改した[64]。
2020年も春季キャンプをA組でスタートしたが[67]、右肘の張りで第2クールからリハビリ組へ合流した[68]。この年は新型コロナウイルスの影響で開幕が6月19日に延期されたが、リハビリ組での調整が長引き[69]、実戦初登板は10月7日[70]。一軍登板は無くシーズンを終え、二軍でも4試合の登板に終わった[71]。また、11月7日のファーム日本選手権での登板後には再び右肘の状態が落ち、リハビリ組で調整した[72]。オフに100万円減となる推定年俸1200万円で契約を更改した[71]。
2021年は春季キャンプをB組でスタートし、球団の方針もあって慎重に調整を進め[73]、開幕は二軍で迎えた。4月16日の二軍戦の登板中に左足首を痛めたが[74]、5月27日の二軍戦で実戦復帰し[75]、6月25日に出場選手登録[76]。同27日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で718日ぶりの一軍登板を果たすと[77]、9月7日の西武戦でプロ初ホールドを記録した[78]。シーズン終了まで一軍に帯同し続け、この年は18試合の登板で0勝0敗1ホールド・防御率2.16という成績を残し[79]、オフに200万円増となる推定年俸1300万円で契約を更改した[80]。
2022年は先発に挑戦し[81]、春季キャンプをA組でスタートすると[82]、紅白戦や対外試合で好投を続けた[81]。3月20日のオープン戦では田中が先発し[83]、開幕ローテーション6番手を争う大関友久・杉山一樹も登板予定と『最終テスト』が行われる1戦となったが[84]、4回裏の投球練習中に右肩の違和感を訴えて緊急降板[85]。その後、二軍再調整が決定し[86]、3月29日にはリハビリ組に合流した[87]。7月17日の三軍戦で実戦復帰すると[88]、8月13日にリリーフとして出場選手登録[89]。ファームでは連投テストを行っておらず、藤本博史監督が「一軍の打者相手にどれだけ投げられるか。1イニングを5試合で2度ぐらい投げられたらいいかな」と話したように『テスト昇格』であったものの[90]、翌14日のオリックス戦でシーズン初登板となり、1回2奪三振無失点と好投すると、藤本監督は「ひょっとしたら(一軍に)残るかも分からない」と方針転換を示唆[91]。この試合も含めて3試合に登板し、計3イニングを無安打4奪三振無失点に抑えていたが[92]、8月20日のスクリーニング検査にて、新型コロナウイルスの陽性疑いとなり[93]、翌21日に特例2022で出場選手登録を抹消され[94]、8月22日には新型コロナウイルス陽性判定を受けた[95]。9月10日の二軍戦で実戦復帰し[92]、同14日に一軍復帰を果たした[96]。この年は5試合の登板で0勝0敗1ホールド・防御率0.00という成績であり[97]、オフに100万円減となる推定年俸1200万円で契約を更改した[98]。
日本ハム時代
2023年1月11日に北海道日本ハムファイターズは、海外FA権を行使して[99]ソフトバンクへ移籍した近藤健介[100]の人的補償として、田中を獲得したことを発表[101]。高校・大学で7年間同級生であった池田隆英と再びチームメイトとなった[102]。同15日に入団会見が行われ、背番号は26に決定した[103]。なお、チームには同姓の田中瑛斗が所属しているため、報道上の表記およびスコアボード上の表記は「田中正」となる。
春季キャンプを一軍でスタートし[104]、当初は先発として調整していたが、実戦では変化球の制球に苦しむ場面が目立ち[105][106]、オープン戦期間中にリリーフへ配置転換[107]。中継ぎとして開幕を一軍で迎え[108]、楽天との開幕戦で移籍後初登板を果たし、1イニングを3者凡退に抑えた[109]。6試合の登板で4ホールド・防御率1.50を記録すると[110]、抑えの石川直也の離脱があり[111]、守護神に抜擢された。初のセーブ機会となった4月21日の楽天戦では逆転サヨナラ負けを喫したものの[112]、同26日のオリックス戦でプロ初セーブを挙げた[113]。5月7日の楽天戦では同点の9回表に登板し、3者連続奪三振に抑えると、直後の攻撃でチームがサヨナラ勝ちを収めたことで、田中にプロ初勝利が記録された[114]。その後も守護神の役割を全うし、7月4日終了時点で29試合に登板して2勝1敗7ホールド14セーブ・防御率2.25を記録すると[115]、翌5日に監督推薦で自身初のオールスターに選出[116]。自身の誕生日でもある7月19日のオールスター第1戦に登板し、対戦を熱望していた宮﨑敏郎にソロ本塁打を打たれて1回1失点だったものの[117]、笑顔でベンチに引き揚げた[118]。後半戦に入ると、セーブ成功ながらも失点する登板が目立ったが[119]、自身初めて一軍でシーズンを完走[120]。この年は47試合の登板で2勝3敗8ホールド25セーブ・防御率3.50を記録し、オフに2400万円増となる推定年俸3600万円で契約を更改した[121]。
2024年は2年連続で開幕一軍入りを果たし[122]、開幕から守護神を務めた。5月22日終了時点では18試合に登板し、1勝0敗5ホールド10セーブ・防御率0.50を記録していたが[123]、同24日の楽天戦で2点リードを守れずにセーブ失敗[124]。続く5月31日の横浜DeNAベイスターズ戦では同点ソロ本塁打を被弾し、2試合連続でセーブ失敗を喫した[125]。さらに翌6月1日の同カードでは同点の9回表から登板し、決勝ソロ本塁打を被弾して敗戦投手。2試合連続被弾・3試合連続失点となり[126]、新庄剛志監督は「ちょっとポジションを変更してね。良くなったらまた戻すって形に」と田中の配置転換を明言した[127]。6月22日の楽天戦から守護神に復帰したものの[128]、7月2日に『NPB感染症特例』により出場選手登録を抹消され[129]、同9日に一軍復帰[130]。ファン投票で2年連続2度目となるオールスターに選出されており[131]、球宴第1戦に6番手として9回表から登板し[132]、1回2安打無失点に抑えた[133]。後半戦では、8月4日のソフトバンク戦でセーブ失敗(サヨナラ負け)を喫し[134]、同6日に登録抹消[135]。9月1日に再登録され[136]、この年は53試合の登板で4勝4敗12ホールド20セーブ・防御率2.17という成績を残した。CSでは、千葉ロッテマリーンズとのファーストステージ第3戦に登板[137]、ソフトバンクとのファイナルステージにも1試合登板した[138]。
選手としての特徴
長い手足を使ったダイナミックな投球フォーム[140]から投げ込む空振りを奪えるストレートが武器[141]。最速は157km/hを計測している[142]。
変化球はフォーク・カットボール・カーブなどを投じる[143]。
人物
愛称は名前の「正義」を英単語で表した「ジャスティス」[144]。
日本ハム移籍後は、田中のセーブ成功を意味する「正義執行」のフレーズが定着している[145][146]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
2018
|
ソフトバンク
|
10 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
64 |
13.2 |
18 |
6 |
6 |
0 |
0 |
15 |
0 |
0 |
13 |
13 |
8.56 |
1.76
|
2019
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
---- |
5 |
0.2 |
1 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
4.50
|
2021
|
18 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
---- |
67 |
16.2 |
9 |
2 |
8 |
0 |
0 |
14 |
3 |
0 |
5 |
4 |
2.16 |
1.02
|
2022
|
5 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
---- |
16 |
5.0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
0.40
|
2023
|
日本ハム
|
47 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
3 |
25 |
8 |
.400 |
194 |
46.1 |
43 |
6 |
13 |
0 |
0 |
46 |
0 |
0 |
18 |
18 |
3.50 |
1.21
|
2024
|
53 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
4 |
20 |
12 |
.500 |
201 |
49.2 |
33 |
4 |
17 |
2 |
3 |
47 |
1 |
0 |
14 |
12 |
2.17 |
1.01
|
通算:6年
|
134 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
8 |
45 |
22 |
.429 |
547 |
131.3 |
106 |
18 |
46 |
2 |
3 |
128 |
4 |
0 |
50 |
47 |
3.43 |
1.15
|
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2018
|
ソフトバンク
|
10 |
1 |
3 |
0 |
0 |
1.000
|
2019
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
----
|
2021
|
18 |
3 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2022
|
5 |
0 |
0 |
0 |
0 |
----
|
2023
|
日本ハム
|
47 |
5 |
4 |
1 |
0 |
.900
|
2024
|
53
|
2
|
6
|
1
|
1
|
.889
|
通算
|
134 |
11 |
13 |
2 |
1 |
.960
|
記録
- 初記録
- その他の記録
背番号
- 25(2017年 - 2022年)
- 26(2023年 - )
登場曲
代表歴
脚注
出典
関連項目
外部リンク
野球日本代表 |
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