狩野 美信(かのう なかのぶ/ながのぶ[1]、安永元年(1772年) - 文政4年(1821年))は、日本の江戸時代後期に活躍した狩野派(江戸狩野)の絵師。江戸幕府御用絵師だった駿河台狩野家の5代目。
略伝
狩野美信の子として生まれる。号は洞白で、名前と合わせて洞白愛信とも呼ばれる。百官名は諸書で大蔵卿とされるが、父と同じ式部卿を名乗った時期もあるようだ。父に絵を習い、朝鮮通信使へ贈る贈答屏風や寛永寺法王宮殿の障壁画などを手掛けた。文化10年(1813年)12月に大蔵卿法眼に叙された。文政4年没、享年50。墓所は多磨霊園(護国寺から改葬)。跡は同じ幕府の御用絵師だった板谷家から養子入りした狩野洞益春信が継いだ。弟子に福岡藩御用絵師の尾形洞霄など。
現存作品は何点か知られているが、特に絵馬が多い。下記の他にも、厳島神社に絵馬が2点ある。
作品
作品名
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技法
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形状・員数
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寸法(縦x横x奥行cm)
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所有者
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年代
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落款
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印章
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備考
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高砂図
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絵馬1面
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146.0x186.2
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高照神社
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1800年(寛政12年7月吉日)
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青森県有形民俗文化財。津軽寧親奉納[2]
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鶴図
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絵馬1面
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146.3x186.2
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高照神社
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1800年(寛政12年7月吉日)
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青森県有形民俗文化財。津軽寧親室奉納[2]
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群馬図(桜に駒)
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絵馬1面
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146.5x186.2
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高照神社
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1800年(寛政12年7月吉日)
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青森県有形民俗文化財。津軽信順奉納[2]
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養老瀧図
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絵馬1面
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146.6x186.0
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高照神社
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1800年(寛政12年7月吉日)
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青森県有形民俗文化財。津軽寧親女奉納[2]
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勿来関図
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絵馬1面
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146.2x186.5
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高照神社
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1800年(寛政12年7月吉日)
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青森県有形民俗文化財。森忠哲室(津軽寧親女)奉納[2]
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神人曳馬図
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板地著色
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絵馬1面
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154.5x55.0
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浅草寺
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法眼以前
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「狩野洞白藤原愛信画」
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「藤原」朱文方印[3]
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象図
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絵馬1面
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春慶寺 (墨田区)
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法眼以前
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鷹図
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絵馬1面
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亀戸天神社境内御嶽神社
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法眼以前
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梅に旭日図
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絵馬1面
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亀戸天神社境内御嶽神社
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法眼以前
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関羽図
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1幅
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大英博物館
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法眼以前
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「狩野洞白藤原愛信筆」
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鶴図
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板金地著色
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絵馬1面
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103.0x93.5x3.3
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法明寺 (豊島区)
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法眼期
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「狩野式部卿法眼洞白藤原愛信謹書」
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「狩野氏」朱文方印
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The tri-corporate sage
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1幅
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大英博物館
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法眼期
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「法眼洞白愛信筆」
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脚注
- ^ 『古画備考』では「なかのぶ」、『東洋美術大観』では「ながのぶ」のルビが振られているが、実際はどちらだったか不明(柏崎(2016)p.253)。
- ^ a b c d e 『高照神社所蔵品目録』 高照神社文化財維持保存後援会、1991年、pp.51-52(画像なし)。
- ^ 東京都台東区教育委員会 生涯学習課編集 『台東区文化財調査報告書 第51集 浅草寺絵馬扁額調査報告書 浅草寺の絵馬と扁額 』 東京都台東区教育委員会、2015年3月20日、第9図。
参考文献
- 柏崎諒 「コラム 狩野洞白愛信筆鶴図絵馬について」威光山法明寺 近江正典編 『雑司ヶ谷鬼子母神堂開堂三百五十年・重要文化財指定記念 雑司ヶ谷鬼子母神堂』 勉誠出版、2016年11月28日、pp.253-255、ISBN 978-4-585-21036-8。