渡辺 大剛(わたなべ はるひさ、1981年(昭和56年)8月25日[1] - 2012年(平成24年)12月26日[2])は、日本の冒険家、登山家である。22歳292日で達成した七大陸最高峰登頂は日本人の中では、2番目に若い記録である。
経歴
静岡県周智郡森町出身[2]。磐田東高等学校に入学[3]。高校2年の冬、自転車で単独日本縦断(静岡〜四国〜岡山)をした[4]。九州産業大学芸術学部写真学科に入学後、山岳部に在籍し、本格的に登山を始めた[1]。2002年、シルクロードを旅し、ヘルディンに日本人として初めて登頂した[4]。
世界各地を巡る旅をしていた同年9月、アフリカ最高峰のキリマンジャロに登頂したのを機に、七大陸最高峰登頂を目指すようになり、2003年には、2月に南米アコンカグア、6月に新欧州エルブルース、旧欧州モンブラン、同7月にオセアニアコジウスコと立て続けに登頂した[1]。6月に挑戦したアジアエベレストは、山頂へのアタック前の脱水症状と強風のために断念した[1]。2004年には、1月に南極ビンソンマシフ、5月に2度目の挑戦でエベレストに登頂した[5]。
2004年6月12日、北米マッキンリーに登頂し、七大陸最高峰への登頂を、2002年に東京大学の山田淳がたてた日本人最年少記録23歳9日を更新し、米国の学生で渡辺の友人でもあったブリットン・キーシャン(en:Britton Keeshan)が2004年5月24日にたてた当時の世界記録22歳174日に次ぐ22歳292日で達成した[2][5]。達成後の記者会見では「登山はこれで幕を下ろし、次は大気圏外から青い地球を見たい」と今後の抱負を語った[6]。
2012年(平成24年)12月26日、ロシア連邦ムルマンスク州南部のカンダラクシャ市郊外の国道M-18(通称コラ道路)路上で自転車に乗っていたところを車に追突されて死亡した[7]。
脚注
出典
外部リンク