|
この項目では、岐阜市薬師町にかつてあった臨済宗の正法寺について説明しています。
|
正法寺(しょうぼうじ)は、岐阜県岐阜市薬師町にあった、薬師如来を本尊とする臨済宗の寺院である。山号は霊薬山と称した。川手城の敷地ないし隣接地にあったとされ、船田合戦を経て廃寺となった。現在、その跡は正法寺跡として岐阜市により史跡に指定されている。なお、同市黒田(正法寺)、同市大仏町(正法寺)、同市向加野にある正法寺は、ここで述べる霊薬山正法寺とは縁起の異なる別の寺院である。
美濃国守護、土岐頼康が文和2年(1353年)に川手城を築城した際に無本覚心(法灯禅師、法灯派の祖)の法嗣、嫩桂正栄を招いてその隣接地に建立した。その後は開山の法嗣、信中自敬が2世として襲いでいる。土岐氏の外護のもと、七堂伽藍を備え塔頭も多数建てられた。塔頭の名としては雲門庵、石門庵、法喜庵、三世庵、常春庵、慈光院、利名院、大亀院、陽徳院、南陽院および細香軒が伝わっているが、それぞれの歴史については未詳である。信中自敬の下には惟成親王が法嗣として入るなど、美濃屈指の禅刹であり、諸山に列せられた。応仁元年(1467年)以降、京都が応仁の乱により荒廃した際には、土岐氏の招きにより足利義視、一条兼良が訪れた。その他にも雪舟等楊や万里集九、宗祇など、文人墨客も正法寺で活動をしていたことが知られる。明応4年(1495年)に船田合戦で戦場となり、焼失し廃寺となった。跡地に残った土塁も、慶長7年(1602年)の加納城築城の際に取り去られたという。
昭和47年(1972年)に岐阜市により史跡に指定される。2019年現在、跡地には薬師堂が建てられている。
参考文献
- 厚見村史編集委員会『厚見村史』(1960年) p100-106
- 松田之利ほか『岐阜県の歴史』第二版(2012年) pp.84,85