檜山 袖四郎[1](ひやま そでしろう[2]、1899年〈明治32年〉1月1日 - 1979年〈昭和54年〉6月29日[3][4])は、日本の政治家(第38、39、45、46代広島県議会議長)[5]、実業家。広島カープ代表取締役。旧名は末三[6]。
経歴
広島県安芸郡船越村に生まれる[7]。家業の土木建設業を継ぐ[7]。1947年(昭和22年)、広島県議会議員に当選[2]、8期32年間つとめる[3]。その間、1948年(昭和23年)11月から1951年(昭和26年)4月まで第44代副議長を務めた[8]。また、1951年(昭和26年)5月から1955年(昭和30年)4月まで、1963年(昭和38年)5月から1967年(昭和42年)4月まで、同年5月から1971年(昭和46年)4月までの通算12年にわたって、議長を務めた[5]。
さらに全国都道府県議会議長会会長[1]、自治省参与、全国治水期成同盟会副会長、全日本交通安全協会副会長、広島県緑化推進委員会委員長、広島県土木協会会長、自由民主党広島県支部連合会幹事長等の要職を歴任する[7]。
1979年4月の県議会議員選挙には立候補しなかった[9]。同年6月29日に急性心不全で死去した[4]。
広島市安芸区船越4丁目の岩瀧神社参道根際に「檜山袖四郎像」が建立されている。
栄典
脚注
参考文献
- 帝国興信所編『帝国信用録 第32版 昭和14年』帝国興信所、1939年。
- 『広島県風土記』旺文社、1986年。