根城(ねじょう)は、青森県八戸市根城にあった日本の城。国の史跡に指定。日本100名城の一つ。
概要
根城は八戸市街地の西端にあり馬淵川南岸の河岸段丘上にある[1]。
本丸・中館・東善寺・岡前舘・沢里館の5つの館(曲輪)が連なる連郭式の平山城である。現在は、本丸・中館・東善寺の3つの郭が現存している。
現在、館跡の礎石、曲輪、空堀、土塁が遺構として認められる。本丸には主殿・上馬屋・中馬屋・工房・鍛冶工房・板倉・納屋・東門・西門・北門・番所・中館馬屋が復元されている。
歴史・沿革
南北朝時代
師行の死後、弟の政長が跡を継いだ。政長は室町幕府から再三の降伏勧告を受けたが従わず南朝への忠誠を守り続けた。しかし、南朝方が次第に劣勢となると、京から遠く離れた奥州北部の南部氏の勢力も次第に弱体化していった。
- 1393年(明徳4年) 南部氏8代の八戸政光は本領の甲斐から根城に移って南部氏の再興を図った。この系統は八戸氏とも呼ばれている。その後も周囲での小競り合いが絶えず不安定な時代が続いた。そして、同族である三戸南部氏が次第に有力になる。
安土桃山時代
- 1590年(天正18年) 小田原征伐の際に宗家の三戸城主南部信直は豊臣秀吉の元に帰参して所領の南部7郡を安堵された。この際に、根城南部氏(八戸氏)も宗家の支配下に組み込まれた。
- 1592年(天正20年)、秀吉の命令により城そのものは破壊されたが館自体は残され、これ以降も八戸氏の本拠であり続けた。
江戸時代
近現代
現地情報
所在地
交通アクセス
- JR東北本線・東北新幹線「八戸」駅から南部バス「司法センター経由」で約15分「博物館前」下車、徒歩約5分で本丸跡
参考画像
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空堀
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木造復元された主殿
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木造復元された中馬屋
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木造復元された工房
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木造復元された工房の内部
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木造復元された野鍛冶場
関連人物
- 小井川潤次郎 - 「根城雑記」(1939年)などを執筆し、根城の史跡指定に貢献した。本丸跡の大いちょう横の石碑に短歌が刻まれている。根城史跡保存会長などを務めた。
- 司馬遼太郎 - 『街道をゆく』シリーズの「陸奥のみち」で根城を訪れた。
脚注
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
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外部リンク