李 福(り ふく、貞観8年(634年)- 咸亨元年8月24日(670年9月13日))は、中国の唐の太宗李世民の十三男[1]。字は祐[2]。趙王に立てられた。
経歴
李世民と楊妃の間に生まれた。
貞観13年(639年)、趙王に封じられ、隠太子李建成の後を継いだ。貞観18年(644年)、秦州都督に任じられ、実封800戸を受けた。貞観23年(649年)、右衛大将軍を加えられ、梁州都督となった。
咸亨元年(670年)、梁州の官邸で亡くなった。司空・并州都督[3]の位を贈られ、昭陵に陪葬された。
妻の宇文修多羅(うぶんしゅうだら)は、字を普明といい、宇文士及の娘であった。
子がなく[4]、神龍初年、蒋王李惲の孫の李思順が趙王を嗣いだ。
伝記資料
- 『旧唐書』巻76 列伝第26「趙王福伝」
- 『新唐書』巻80 列伝第5「趙王福伝」
- 大唐故贈司空荊州大都督上柱国趙王墓誌銘
- 大唐趙王故妃宇文氏墓誌銘
脚注
- ^ 『旧唐書』によると、太宗の第十三子。墓誌によると、太宗の第十一子。
- ^ 墓誌による。兄の李祐の諱と同じであることは一考を要す。
- ^ 墓誌によると、贈官は司空・使持節・大都督・荊硤岳朗四州諸軍事・荊州刺史。
- ^ 『新唐書』によると、李福に子はない。墓誌には「子建平王穆」との記事が見られる。