杉崎 弥八(すぎさき やはち)は、明治から昭和にかけて東葛地方で活躍した石工職人である。
下総国野田に生まれた。生来の手先の器用さをもって身をたて、華麗な水墨を描き、ヴァイオリンをたしなみ、彫刻の技を極め、これを石工の業いに生かした。
香取神社の再建にあたって、弥八は狛犬の製作に選ばれ、見るからに雲を巻き風を呼ぶ、左右一対の獅子を彫り上げ、名工と讃えられ名声を博した。
明治から昭和にかけて東葛地方の各地に優れた名作を残した。
上野戦争で彰義隊が立てこもった上野寛永寺は、官軍に大砲で猛砲撃されて壊滅した。彰義隊は敗走して江戸から命からがら街道30kmを全力疾走。1868年7月5日(慶応4年5月16日)未明頃に、彰義隊が下総国野田町の杉崎弥八を訪ねて来た。弥八は酒と名物醤油煎餅で歓待した。官軍が追撃してくると、弥八は機転を利かせ、彰義隊を穴蔵へかくまった。そして彰義隊は会津へと落ち延びていった。
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