木下 利愛(きのした としちか)は、江戸時代後期の大名。備中国足守藩11代藩主。官位は従五位下・宮内少輔、備中守。足守藩木下家12代。
略歴
9代藩主・木下利徽の次男として誕生。幼名は三之丞。
文政4年(1821年)11月8日、先代藩主の木下利徳が死去したため、養子として跡を継いだ。同年11月11日、11代将軍徳川家斉に拝謁した。文政6年12月16日(1824年)、従五位下・宮内少輔に叙任した。天保2年(1831年)11月26日、陸奥国伊達郡、信夫郡内の領地11400石余を備中国賀陽郡内に移される。
弘化4年(1847年)11月23日、次男の利恭に家督を譲って隠居し、安政6年(1859年)5月17日に56歳で死去した。法号は大信院殿仁峯景徳大居士。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。
系譜
子女は5男6女
- 父:木下利徽(1787-1851)
- 母:不詳
- 養父:木下利徳(1789-1821)
- 正室:孝 - 山内豊策の娘
- 生母不明の子女
木下家 足守藩11代藩主 (1821年 - 1847年) |
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木下家 |
- 木下家定 1601-1608
- 木下勝俊(木下利房) 1608-1609
- 遺領を勝俊・利房兄弟で分割相続という幕府の指示に反して勝俊が独占したため幕命違背により改易
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浅野家 | |
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木下家 | |
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