布施 丑雄(ふせ うしお[1]、1913年(大正2年)10月16日[1] - 1966年(昭和41年)3月15日[1][2])は、日本の政治家、実業家。石川県鳳至郡穴水町長[1]。布施林業部代表取締役[1]。石川県山林協会副会長[1]。大日本山林会評議員[1]。穴水町森林組合長。
経歴
石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町出身。布施丑造の長男[1][3]。1939年、法政大学経済学科卒業[1]。1943年、北陸貨物自動車常務となり専務の後解散により退職する[1]。
1952年3月、石川トヨタ自動車監査役に就任する[1]。同年7月、町議に当選する[1]。1954年4月、4ヵ町村合併の新穴水町初代町長に選ばれた[1]。
人物
趣味は読書[1]。宗教は真宗大谷派[1]。住所は石川県鳳至郡穴水町河内[3]。別宅は金沢市味噌蔵町上中丁[1]。
家族・親族
- 布施家
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第23版 下』人事興信所、1966年。
- 『読売新聞』1971年1月27日1面「にっぽん権力地図23 血筋と地縁 "選挙頼む"でOK」