川場村(かわばむら)は、群馬県利根郡の村。
地理
隣接している自治体
歴史
沿革
「平成の大合併」について
21世紀初頭に日本中で行われた平成の大合併は川場村にとっても例外ではなく、当初沼田市に利根郡8町村を加えた枠組での合併が検討された。
一方、2002年1月に村の若手管理職らで構成される研究会が報告で「村単独の存続」「周辺町村との合併」に加え、それまで20年以上交流を続けていた「東京都世田谷区との合併」を選択肢の1つとして提示した。これについて横坂太一村長(当時)は「近いから合併するというではなく、ソフト面での結びつきを考えなければならない」と肯定的な見解を述べ、世田谷区の大場啓二区長(当時)も「合併の申し入れがあれば、財政的な負担も含めて検討する」と応じた[4]。法的には合併は可能であり、県境を接しない飛び地合併の初めてのケースという事で注目を集めたが、現実に村と区とでは160kmも離れている上、群馬県の中に東京都の飛地ができるのは、地域感情や手続き(県議会・都議会の議決および両知事の承認が必要となる)といった面で様々な難しい問題を生じさせかねない事から、実現しなかった。
2005年には利根郡域において、昭和村と片品村を除く5町村が沼田市(編入)とみなかみ町(新設)に再編され、川場村は単独の生き残りを選択する事となった。
人口
|
川場村と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
川場村の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 川場村 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
川場村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
4,109人
|
|
1975年(昭和50年)
|
3,822人
|
|
1980年(昭和55年)
|
3,905人
|
|
1985年(昭和60年)
|
4,064人
|
|
1990年(平成2年)
|
4,085人
|
|
1995年(平成7年)
|
4,273人
|
|
2000年(平成12年)
|
4,139人
|
|
2005年(平成17年)
|
4,179人
|
|
2010年(平成22年)
|
3,898人
|
|
2015年(平成27年)
|
3,647人
|
|
2020年(令和2年)
|
3,480人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
|
行政・立法
役場庁舎
所在地は以下のとおり[5]。
- 川場村役場・交流ホール:群馬県利根郡川場村大字谷地3200番地
- むらの学習館:群馬県利根郡川場村大字谷地3201番地
現役場庁舎は2023年11月6日に業務開始した。多目的ホールや学習室などを併設しており、これら施設全体の愛称を「川場ベース」という[1]。
県議会
- 選挙区:利根郡選挙区
- 定数:1名
- 任期:2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和9年)4月29日[6]
衆議院
- 任期 : 2024年(令和6年)10月27日 - 2028年(令和10年)10月26日(「第50回衆議院議員総選挙」参照)
警察
消防
産業
- 農業が主体。ブランド米「雪ほたか」を生産。特に果物の栽培が盛んで、主にリンゴとブルーベリーが栽培されている。
- 2010年6月30日付けで、群馬県内では9番目になる果実酒特区に認定された[7]。
- かつて川場村は電気事業を営んでいた。1920年(大正9年)5月事業許可を受け、薄根川に水力発電所(出力26kW)を建設し、12月より事業を開始した[8]。
姉妹都市・提携都市
国内
- 世田谷区(東京都)
- 1981年に「区民健康村相互協力に関する協定」を締結したのを皮切りに、2箇所の保養所と研修施設を共同で村内に設立し、毎年小学校5年生が相互訪問するなど交流を続けている他、農産物の直接取引も行っている。[4] 前述の通り、平成の大合併の際には世田谷区との合併話も持ち上がった。この縁で、世田谷区をホームタウンとする女子サッカーのスフィーダ世田谷FCはなでしこチャレンジリーグの公式戦を毎年1試合、村スポーツ広場にて開催している。
交通
鉄道
村内を鉄道路線は走っていない。最寄り駅は、JR東日本上越線沼田駅、あるいは上越新幹線上毛高原駅。
道路
バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身有名人
脚注
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
川場村に関連するカテゴリがあります。
外部リンク