川口 寿(かわぐち ひさし、1898年(明治31年)10月25日[1] - 1984年(昭和59年)6月28日[2])は、日本の政治家。
経歴
富山県出身[3][4]。1923年(大正12年)、明治大学卒業[2]。大東文化協会常任幹事[2]、東京市議、同参事会員、東京府議[2]、明治大学評議員[2]、日本共栄社長[2]、外務省嘱託[3]などを歴任し、1942年(昭和17年)に行われた第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)において、東京2区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け、立候補し、衆議院議員に当選した(所属は翼賛政治会→大日本政治会→日本進歩党)。戦後、推薦議員のため公職追放となった[5]。
脚注
- ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、1頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』190頁。
- ^ a b 議会新聞社 編『翼賛議員銘鑑』1943年、438頁。NDLJP:1439721。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』190頁では「東京都出身」と書かれてある。
- ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。
参考文献
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 『議会制度百年史: 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。