島田城(しまだじょう)は、尾張国愛知郡(現愛知県名古屋市天白区島田)にあった日本の城(平城)[2][3]。県遺跡番号010064として埋蔵文化財包蔵地になっている[1]。
歴史
室町時代初期、尾張・遠江・越前の守護斯波高経が鎌倉街道の要所となるこの地に築城した[4]。詳しい築城年は不明である[5]。室町時代末期、斯波義銀の従兄弟牧長義が小林城主となり、その出城として島田城を修理した[4]。
北には天白川、東には島田川が流れる。尾張志では、島田城の規模は東西約40間(約76メートル)、南北約100間(約182メートル)とされる[6][5]。
牧顕朝の子孫が代々城主をつとめ、牧義次・牧義汎・牧左近・牧虎蔵(牧野虎蔵[7])と続いていった[5]。江戸時代以降も、この地域に牧一族は住み続け、現在も牧姓が周辺に多い[8]。
現在はかつての中心部付近に牧神社が鎮座していて、私有地ではあるが立ち入りが可能となっている。土地区画整理が行われる前は濠や矢場が一部残っていた[3]。
所在地
愛知県名古屋市天白区島田5丁目
ギャラリー
参考文献
脚注
外部リンク