山崎 義孝(やまざき よしたか)は、江戸時代中期の交代寄合表向御礼衆。備中国成羽領6代領主。
生涯
宝暦9年(1759年)4月12日 、備中国成羽領5代領主山崎義俊の長男として江戸で生まれる。母は義俊の側室。正室はなし。父方の従弟に豊後国森藩8代藩主久留島通嘉がいる。
安永4年(1775年)4月6日、義俊の嫡男として徳川家治にお目見えしている。続いて安永7年(1778年)12月12日に父義俊の隠居により、家督である成羽領5,000石を相続し領主となった。しかし、安永8年(1779年)4月23日に21歳で早世した。家督は弟の義苗が養子となり相続した[1]。
系譜
脚注
- ^ “画像表示 - SHIPS Image Viewer”. clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp. 2021年3月14日閲覧。
参考文献