小関竜也
小関 竜也埼玉西武ライオンズ ファーム監督 #79 |
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ジャイアンツ球場にて (2022年6月21日) | 基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
栃木県佐野市 |
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生年月日 |
(1976-07-24) 1976年7月24日(48歳) |
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身長 体重 |
178 cm 89 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
左投左打 |
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ポジション |
外野手 |
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プロ入り |
1994年 ドラフト2位 |
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初出場 |
1996年10月4日 |
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最終出場 |
2008年8月19日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
|
コーチ歴 |
- 読売ジャイアンツ (2011 - 2018)
- 埼玉西武ライオンズ (2020 - )
| |
小関 竜也(おぜき たつや、1976年7月24日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ、野球解説者。左投左打。2003年シーズン途中から2004年までの登録名は小関 竜弥(読み同じ)。2020年からは埼玉西武ライオンズのコーチを務める。
長女はアイドルグループ・カントリー・ガールズに所属していた小関舞[1]。
来歴
プロ入り前
実家は佐野市内にある佐野ラーメンの有名店「万里」。
国学院栃木高校では、エース投手兼主将兼四番打者を務めた。3年夏の県大会は3回戦で先発完投し、延長12回を14奪三振の力投も敗退[2]。なお、同学年の控え投手は渡辺俊介(後に千葉ロッテマリーンズ)だった。
西武時代
慶應義塾大学への推薦入試を受けて不合格となり[3]、1994年度プロ野球ドラフト会議にて西武ライオンズから2位指名を受けて投手として入団。入団後に打者へ転向。
1996年、10月4日の対近鉄バファローズ25回戦の8回裏に笘篠誠治への代打として一軍初出場を果たすが、同年中の出場はこの1試合のみだった。
1997年も1試合の出場に留まる。
1998年には104試合に出場し、同年のパシフィック・リーグ(パ・リーグ)最優秀新人に選出された(パ・リーグで入団4年目の新人王は小関が初で、2021年時点では唯一)。高卒でプロ入りした野手の受賞は2021年現在までで、パ・リーグでは小関が最後[4]。
1999年は123試合の出場で打率.268、1本塁打、34打点、16盗塁を記録し、初めて規定打席に到達をした。
2002年には自身最高の打率.314を記録。松井稼頭央との不動の一・二番コンビを形成し、リーグ最多の43犠打を記録。自身初のリーグ優勝を経験した。読売ジャイアンツ(巨人)との日本シリーズ第2戦(10月27日、東京ドーム)では、1回表二死満塁で巨人・桑田真澄が二塁へ牽制球をした際、三塁走者だった小関はその隙をついて本塁を狙ったが、返球が早くアウトとなった。このチャンスを逃した西武は巨人打線に打ち込まれ、西武打線は桑田に抑えられ、チームはストレートの4連敗で日本シリーズ優勝を逃した。
2003年は、打率3割は逃したが、5三塁打とリーグ最多の32犠打を記録した。
2004年は赤田将吾や佐藤友亮が台頭したこともあり、レギュラーとして出場できず、90試合の出場に終わった。ただしリーグ優勝を決めたプレーオフ第二ステージの第5戦では、10回表の先頭打者で三瀬幸司から決勝点の口火を切る二塁打を放った。
2005年は、選手会長に就任し飛躍が期待されたが、開幕スタメンは前年台頭した赤田将吾や佐藤友亮に奪われる。4月2日の試合中に佐藤が負傷し長期離脱(9月に復帰)となったが、そのチャンスを生かせず47試合の出場に終わり、打率.198と低迷した。シーズン終了後に大幅減俸を提示された事もあり、メジャーリーグへの挑戦を申し出た結果、西武は小関を功労者であるとして自由契約とした。
メジャー挑戦
2006年2月8日、守備および送球の良さを買われ、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約。メジャー昇格を目指していたが、4月13日に球団のマイナー選手の外国人枠が埋まっていることが判明。その後の交渉も不調で残留は困難と判明。2日後の4月15日、巨人の入団テストを受けて合格。
巨人時代
2006年に、「打者走者以外の塁空過で打者の本塁打が取り消される」というNPB史上初の珍事を演じている(→幻の本塁打一覧)。6月11日に行われたセ・パ交流戦の千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)の3回表、二死一塁でロッテ・渡辺俊介から李承燁が打球を右翼側外野スタンドに直接叩き込んだが、プレイ再開後にロッテ・今江敏晃が一塁走者だった小関の三塁空過をアピール。これが三塁塁審の西本欣司に受け入れられて小関はアウトになった。既に二死だったため、李の得点は認められず、従って本塁打も取り消された[5]。李には単打が記録された。
この件に関して、後の2009年5月26日に放送された『斉藤一美 うるわしの夜』(文化放送)に出演した際に、本人は「踏んでないわけない。踏まないなら変な感触がある」「フジテレビにはベースを踏んだ映像が残っている」「(その時の審判を)今でも許せない。死ぬまで許せない」「今はインターネットがあるのでいつまでも残ってしまう」「清武英利代表が『小関は踏んだ』ということをアピールしてくれてうれしかった」と語っている。この年の巨人は故障者が続出し、小関も入団後は出場機会があったが、打率.258で本塁打0に終わり、救世主とはならなかった。
なお、小関は西武時代にも1999年6月25日の福岡ダイエーホークス戦でも三塁を空過してアウトになっている。
2007年は若手選手が台頭したこともあり、二軍でも出場機会が得られないまま戦力外通告を受ける。同年の12球団合同トライアウトで2本塁打を打ち、横浜ベイスターズへの入団が決定。石井琢朗は、正式な球団発表の前に小関からの「よろしくお願いします」という旨の電話があったことを自身のブログで明かしている。石井は小関と同郷であり、自主トレを一緒に行うなど親交がある。
横浜時代
2008年は開幕戦に先発出場し、開幕から4試合連続で複数安打(その内1試合は猛打賞)を記録するなど絶好調であったが、5月に入り失速。その後は主に左の代打として起用された。8月半ばに登録を抹消されるとその後の一軍出場はなかった。10月1日に戦力外通告を受ける。守備では無失策を記録し、持ち味は発揮していた。
横浜退団後
2009年は2度目のメジャーリーグ挑戦を目指し、3月にコロラド・ロッキーズのトライアウトを受けるが不合格。4月14日に現役引退を発表。
引退後
引退後は野球評論家としてJ SPORTSで解説を務めた(ただし、解説者としての初仕事は「NACK5 SUNDAY LIONS」のゲスト解説)。
2011年から2016年は古巣巨人の二軍外野守備走塁コーチ[6]。2017年からは二軍打撃コーチ[7]を務め、2018年をもって退団。
2019年からは西武OBとしてフジテレビTWOとテレ玉の野球解説者に復帰した。
2020年からは西武の一軍外野守備走塁コーチを担当[8]。2022年からはファーム野手総合兼打撃コーチに異動。同年はファーム監督の西口文也が新型コロナ陽性になった関係で、7月14日から25日まで監督代行を務めた。2024年からはファーム野手総合コーチに役職が変更となった[9]。肩書は総合コーチであるが、2023年より三軍の対外試合の際には、小関が監督扱いでベンチ入りしている[10]。
この他にも、古巣埼玉西武ライオンズの社会貢献活動あるいは講演活動に協力し、埼玉県内の小・中学校で自身の経験を基にした講演等を行っている。
2025年1月1日付でファーム野手総合コーチからファーム監督に役職を変更[11]。
選手としての特徴
西武時代は走攻守揃った選手として3度のリーグ優勝を経験し、レギュラーの右翼手だった頃は、守備範囲が非常に広いことも特徴であり、右翼手でありながら中堅手よりも多くの打球を処理していた。それでいて失策も極めて少なかった。それを示すデータとして、2013年5月25日に聖澤諒に破られるまでは、パ・リーグの外野手の連続無失策記録(658、プロ入り時から2000年9月6日のロッテ戦まで)を保持していた[12][13]事があげられる。
盗塁を積極的に試みる事が多く、盗塁数が二桁を越える年も多かったが、成功率に課題があり、その分盗塁刺も多かった。特に2002年は28回企画し、15回成功で12回失敗を記録しており、同年のリーグ最多を記録した。
登場曲について
西武時代、西武ライオンズ球場がドーム化され西武ドームとなるのに合わせ、各選手が打席に入る際やイニング間の投球練習の間に流すテーマ曲を決めることになった。小関は『レッツゴー!ライオンズ』(TBS)内でファンからテーマ曲のアイディアを公募し、その結果テレビドラマ『太陽にほえろ!』で劇中曲として使われた『ジーパン刑事のテーマ』(青春のテーマ)を使用することを決めた。
ところがある時期から一部の西武ファンが、小関が打席に入る際、場内で流れる同曲のリズムに合わせて小関コールを入れるようになり、これが後にホームのみならずビジターゲームでも応援団がトランペットで演奏するようにまでなった。
小関は巨人移籍後も同曲をテーマ曲に選曲。ファン・応援団による小関コールも西武時代同様に行われた。しかし巨人に在籍した2年間は出場機会に恵まれず、特に2007年シーズンは出場が僅か5試合。東京ドームで同曲が流れたのは僅か2回だけであった。
12球団合同トライアウトを経て横浜へ移籍。ここでも小関は「自分のテーマ曲として定着しているし、あの曲で横浜を盛り上げたい」と、再び同曲をテーマ曲に選んだ。
2009年には西武・星秀和が、小関本人に直接許可をもらって使用していた。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1996
|
西武
|
1 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
1997
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
---- |
---- |
---- |
----
|
1998
|
104 |
387 |
322 |
44 |
91 |
11 |
4 |
3 |
119 |
24 |
15 |
10 |
27 |
0 |
33 |
1 |
5 |
37 |
2 |
.283 |
.358 |
.370 |
.728
|
1999
|
123 |
464 |
373 |
46 |
100 |
9 |
4 |
1 |
120 |
34 |
16 |
8 |
32 |
2 |
46 |
0 |
11 |
53 |
6 |
.268 |
.368 |
.322 |
.690
|
2000
|
125 |
417 |
340 |
50 |
89 |
11 |
4 |
1 |
111 |
32 |
7 |
5 |
23 |
4 |
43 |
1 |
7 |
54 |
1 |
.262 |
.353 |
.326 |
.679
|
2001
|
133 |
495 |
407 |
40 |
114 |
17 |
4 |
3 |
148 |
38 |
17 |
6 |
32 |
2 |
46 |
1 |
8 |
37 |
2 |
.280 |
.363 |
.364 |
.726
|
2002
|
135 |
569 |
487 |
59 |
153 |
35 |
1 |
4 |
202 |
50 |
15 |
12 |
43 |
4 |
25 |
0 |
10 |
59 |
1 |
.314 |
.357 |
.415 |
.772
|
2003
|
113 |
457 |
397 |
48 |
111 |
12 |
5 |
1 |
136 |
33 |
9 |
3 |
32 |
3 |
21 |
0 |
4 |
38 |
7 |
.280 |
.320 |
.343 |
.663
|
2004
|
90 |
328 |
286 |
43 |
77 |
13 |
2 |
3 |
103 |
32 |
1 |
3 |
11 |
2 |
24 |
0 |
5 |
29 |
5 |
.269 |
.334 |
.360 |
.695
|
2005
|
47 |
104 |
86 |
10 |
17 |
3 |
1 |
0 |
22 |
1 |
0 |
0 |
6 |
0 |
8 |
0 |
4 |
16 |
1 |
.198 |
.296 |
.256 |
.552
|
2006
|
巨人
|
56 |
137 |
128 |
8 |
33 |
4 |
2 |
0 |
41 |
10 |
3 |
0 |
4 |
0 |
4 |
0 |
1 |
15 |
1 |
.258 |
.286 |
.320 |
.606
|
2007
|
5 |
4 |
4 |
2 |
1 |
0 |
0 |
1 |
4 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.250 |
.250 |
1.000 |
1.250
|
2008
|
横浜
|
49 |
103 |
93 |
9 |
20 |
1 |
0 |
1 |
24 |
3 |
0 |
1 |
1 |
0 |
8 |
2 |
1 |
11 |
1 |
.215 |
.284 |
.258 |
.542
|
通算:13年
|
982 |
3466 |
2924 |
359 |
806 |
116 |
27 |
18 |
1030 |
259 |
83 |
48 |
211 |
17 |
258 |
5 |
56 |
351 |
27 |
.276 |
.344 |
.352 |
.696
|
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
外野
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
1997
|
西武
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
----
|
1998
|
103 |
213 |
7 |
0 |
3 |
1.000
|
1999
|
122 |
250 |
4 |
0 |
0 |
1.000
|
2000
|
116 |
224 |
3 |
1 |
0 |
.994
|
2001
|
130 |
204 |
3 |
1 |
1 |
.995
|
2002
|
135 |
270 |
2 |
1 |
0 |
.996
|
2003
|
109 |
215 |
4 |
3 |
0 |
.986
|
2004
|
79 |
115 |
2 |
1 |
0 |
.992
|
2005
|
32 |
36 |
0 |
1 |
0 |
.973
|
2006
|
巨人
|
40 |
44 |
0 |
1 |
0 |
.978
|
2007
|
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
----
|
2008
|
横浜
|
29 |
37 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
通算
|
899 |
1608 |
25 |
9 |
4 |
.995
|
表彰
記録
- 初記録
- 節目の記録
- 200犠打:2004年8月28日、対福岡ダイエーホークス23回戦(西武ドーム)、1回裏に新垣渚から捕手前犠打 ※史上26人目
背番号
- 51(1995年 - 1999年)
- 31(2000年 - 2005年、2007年)
- 49(2006年)
- 0(2008年)
- 74(2011年 - 2017年)
- 84(2018年)
- 79(2020年 - )
西武時代、背番号・守備位置が同じだったイチローと比較されるのを嫌ったために、背番号を51から31へ変更した。小関自身が、かつて背番号31をつけていた掛布雅之と前田智徳を好きな選手として挙げている事もその理由の一つである(ただし、小関の引退後のことだが、そのイチローも後にニューヨーク・ヤンキースで背番号31をつけている)。巨人に移籍した2006年は背番号49だったが、2007年に再び愛着ある背番号31へ変更した。
登録名
- 小関 竜也(おぜき たつや、1995年 - 2003年8月13日、2005年 - )
- 小関 竜弥(おぜき たつや、2003年8月14日 - 2004年)
関連情報
評論家時代の出演番組
ドラマ出演
脚注・出典
関連項目
外部リンク
業績 |
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|
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
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2020年代 | |
---|
記述のない年は該当者なし |
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1950年代 |
- 1950 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫
- 1951 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫
- 1952 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫
- 1953 大下弘, 別当薫, 堀井数男
- 1954 大下弘, 関口清治, 山内和弘
- 1955 飯田徳治, 戸倉勝城, 山内和弘
- 1956 杉山光平, 戸倉勝城, 山内和弘
- 1957 大下弘, 毒島章一, 山内和弘
- 1958 杉山光平, 関口清治, 毒島章一
- 1959 杉山光平, 高倉照幸, 山内和弘
|
---|
1960年代 |
- 1960 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘
- 1961 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘
- 1962 張本勲, 山内一弘, 吉田勝豊
- 1963 張本勲, 広瀬叔功, 山内一弘
- 1964 高倉照幸, 張本勲, 広瀬叔功
- 1965 張本勲, 広瀬叔功, 堀込基明
- 1966 高倉照幸, 張本勲, 毒島章一
- 1967 土井正博, 長池徳二, 張本勲
- 1968 G.アルトマン, 土井正博, 張本勲
- 1969 長池徳二, 永淵洋三, 張本勲
|
---|
1970年代 |
- 1970 G.アルトマン, 長池徳二, 張本勲
- 1971 門田博光, G.アルトマン, 長池徳二
- 1972 長池徳二, 張本勲, 福本豊
- 1973 長池徳二, 張本勲, 福本豊
- 1974 D.ビュフォード, 張本勲, 福本豊
- 1975 佐々木恭介, 白仁天, 弘田澄男
- 1976 門田博光, 弘田澄男, 福本豊
- 1977 門田博光, 福本豊, L.リー
- 1978 佐々木恭介, 福本豊, 簑田浩二
- 1979 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊
|
---|
1980年代 |
- 1980 栗橋茂, 福本豊, L.リー
- 1981 島田誠, テリー, 福本豊
- 1982 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊
- 1983 島田誠, テリー, 簑田浩二
- 1984 高沢秀昭, T.クルーズ, 簑田浩二
- 1985 金森永時, 熊野輝光, 横田真之
- 1986 秋山幸二, 新井宏昌, 横田真之
- 1987 秋山幸二, 新井宏昌, T.ブリューワ
- 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙
- 1989 秋山幸二, 藤井康雄, R.ブライアント
|
---|
1990年代 |
- 1990 秋山幸二, 石嶺和彦, 西村徳文
- 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平井光親
- 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 高橋智
- 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 藤井康雄
- 1994 イチロー, K.ライマー, 佐々木誠
- 1995 イチロー, 佐々木誠, D.ジャクソン
- 1996 イチロー, 田口壮, 村松有人
- 1997 イチロー, 佐々木誠, T.ローズ
- 1998 イチロー, 大村直之, 柴原洋
- 1999 イチロー, 谷佳知, T.ローズ
|
---|
2000年代 |
- 2000 イチロー, 柴原洋, S.オバンドー
- 2001 礒部公一, 谷佳知, T.ローズ
- 2002 谷佳知, T.ローズ, 小関竜也
- 2003 谷佳知, T.ローズ, 和田一浩
- 2004 和田一浩, SHINJO, 谷佳知
- 2005 和田一浩, 宮地克彦, M.フランコ
- 2006 稲葉篤紀, 松中信彦, 和田一浩
- 2007 稲葉篤紀, 森本稀哲, 大村直之
- 2008 稲葉篤紀, 栗山巧, リック
- 2009 鉄平, 糸井嘉男, 稲葉篤紀
|
---|
2010年代 |
- 2010 多村仁志, T-岡田, 栗山巧
- 2011 糸井嘉男, 内川聖一, 栗山巧
- 2012 糸井嘉男, 角中勝也, 内川聖一
- 2013 長谷川勇也, 内川聖一, 中田翔
- 2014 柳田悠岐, 糸井嘉男, 中田翔
- 2015 秋山翔吾, 柳田悠岐, 清田育宏
- 2016 角中勝也, 糸井嘉男, 西川遥輝
- 2017 柳田悠岐, 秋山翔吾, 西川遥輝
- 2018 柳田悠岐, 秋山翔吾, 吉田正尚
- 2019 荻野貴司, 秋山翔吾, 吉田正尚
|
---|
2020年代 |
- 2020 柳田悠岐, 吉田正尚, 近藤健介
- 2021 杉本裕太郎, 吉田正尚, 柳田悠岐
- 2022 松本剛, 柳田悠岐, 島内宏明
- 2023 近藤健介, 万波中正, 柳田悠岐
- 2024 近藤健介, 辰己涼介, 周東佑京
|
---|
|
---|
1970年代 |
- 1972 池辺巌, 広瀬叔功, 福本豊
- 1973 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊
- 1974 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊
- 1975 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊
- 1976 B.ウイリアムス, 弘田澄男, 福本豊
- 1977 大熊忠義, 弘田澄男, 福本豊
- 1978 B.ウイリアムス, 福本豊, 簑田浩二
- 1979 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二
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1980年代 |
- 1980 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二
- 1981 島田誠, 福本豊, 簑田浩二
- 1982 島田誠, 福本豊, 簑田浩二
- 1983 島田誠, 福本豊, 簑田浩二
- 1984 島田誠, 高沢秀昭, 簑田浩二
- 1985 金森永時, 島田誠, 簑田浩二
- 1986 西岡良洋, 山本和範, 山森雅文
- 1987 秋山幸二, 新井宏昌, 島田誠, 高沢秀昭
- 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙
- 1989 秋山幸二, 平野謙, 本西厚博
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1990年代 |
- 1990 秋山幸二, 西村徳文, 平野謙
- 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙
- 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙
- 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙
- 1994 秋山幸二, イチロー, 佐々木誠
- 1995 秋山幸二, イチロー, 田口壮
- 1996 秋山幸二, イチロー, 田口壮
- 1997 イチロー, 井出竜也, 田口壮
- 1998 イチロー, 大友進, 大村直之
- 1999 秋山幸二, イチロー, 大友進
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2000年代 |
- 2000 イチロー, 柴原洋, 田口壮
- 2001 柴原洋, 田口壮, 谷佳知
- 2002 井出竜也, 小関竜也, 谷佳知
- 2003 大村直之, 柴原洋, 谷佳知, 村松有人
- 2004 谷佳知, 村松有人, SHINJO
- 2005 大村直之, サブロー, SHINJO
- 2006 稲葉篤紀, 森本稀哲, SHINJO
- 2007 稲葉篤紀, サブロー, 森本稀哲
- 2008 稲葉篤紀, 坂口智隆, 森本稀哲
- 2009 糸井嘉男, 稲葉篤紀, 坂口智隆
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2010年代 |
- 2010 糸井嘉男, 坂口智隆, 栗山巧
- 2011 岡田幸文, 糸井嘉男, 坂口智隆
- 2012 陽岱鋼, 糸井嘉男, 岡田幸文
- 2013 陽岱鋼, 糸井嘉男, 秋山翔吾
- 2014 陽岱鋼, 糸井嘉男, 柳田悠岐
- 2015 柳田悠岐, 秋山翔吾, 清田育宏
- 2016 秋山翔吾, 陽岱鋼, 糸井嘉男
- 2017 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝
- 2018 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝
- 2019 秋山翔吾, 荻野貴司, 西川遥輝
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2020年代 |
- 2020 柳田悠岐, 大田泰示, 西川遥輝
- 2021 荻野貴司, 辰己涼介, 柳田悠岐
- 2022 髙部瑛斗, 辰己涼介, 福田周平
- 2023 辰己涼介, 万波中正, 近藤健介
- 2024 辰己涼介, 周東佑京, 万波中正
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1972年から1985年まではダイヤモンドグラブ賞 |
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