小松城
小松城(こまつじょう)は、石川県小松市丸の内町にあった日本の城。小松市指定史跡[1]。 概要天正4年(1576年)に加賀一向一揆方の若林長門守によって築かれたといわれ、織田信長の武将柴田勝家により攻められ、村上氏、丹羽氏が城主となった。江戸時代になると加賀藩領となるが、元和元年(1615年)に一国一城令で廃城となる。 寛永16年(1639年)、2代藩主前田利常の隠居城という名目で再築、しかし大規模な水堀を廻らし、築島を配するという新城建設に似た大規模なものとなった。完成した城域は金沢城の約二倍の規模を誇る。利常の死後は加賀藩金沢城の支城となり、城番により統治され、明治維新を迎えた。 本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。広大な水堀に浮かぶ姿から浮き城の別名を持つ、難攻不落の実戦を想定した要塞であった。 遺構現在、城域はそれぞれ隣接する小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校として開発され、遺構の保存状態は良くないが、天守台及び内堀の石垣が残る。建造物としては、鰻橋御門が小松市園町の来生寺寺門に移築され現存する[2]ほか、兎御門扉及び葭島御殿兎門扉が金沢市の成巽閣で、二階御亭入口扉と御樓閣天井板が小松市丸の内公園町にある芦城公園内の小松市立博物館で、それぞれ保管されている[3][4]
沿革
ギャラリー
逸話
脚注
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