小堀 正十(こぼり まさとお)は、江戸時代前期の旗本。禄高は3000石[2]。茶道小堀遠州流家元の第3世で、号は「宗貞」[1]。
小堀遠州流第2世の小堀正行の長男で[1]、小堀政一の甥にあたる[2]。
元和2年(1616年)8月に将軍徳川秀忠に拝謁し、父の遺領を継ぐ。元和3年(1617年)、備中国の知行を近江国浅井郡に移される。元和5年(1619年)4月より書院番士を、寛永10年(1633年)6月14日より進物番となる。寛永11年(1634年)より多賀大社の造営奉行を務めたほか、寛永17年(1640年)の生駒騒動の際には目付の代理として讃岐国高松に赴いた[2]。
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