富爾佳斉大戦(フルギヤチ-タイセン[1])は、史料にみえる初めてのフルン勢 (海西部) とマンジュとの戦役である。
建州三衛を統一してから俄に勢力を強大化させたマンジュ国主・ヌルハチに対し、ハダ国主・メンゲブルらはヌルハチの勢いを削ごうとして武力威圧を実行したが、却ってフルギヤチ部落を襲撃したヌルハチに敗北した。
アタイの騒動で祖父・ギオチャンガと父・タクシを明軍に殺されたヌルハチは、打倒明朝を旗印に僅か13の兵で挙兵した。それ以来、建州三衛の統一、マンジュ・グルン (満洲国) の樹立と俄に勢力を強大化させて来たことが、結果的に金王朝由来の歴史を誇るフルン四部 (ハダ、イェヘ、ホイファ、ウラ) に危機感を抱かせることとなった。
万暦19 (1591) 年、イェヘ東城主・ナリムブルは、ヌルハチに領土割譲を求めるべく、部下のイルダンガ[2]、バイシャン[2][3]の二人をマンジュ (満洲国) に派遣した。使者曰く、
一つの言葉語る國に、烏拉ウラ、哈達ハダ、葉赫イェヘ、輝發ホイファ、滿洲マンジュ五人の汗ハン尚生きん道ありや、國汝に大に、吾に小さし、汝の額勒敏[4]、扎庫木[5]この二つの土地をうち一つ齎もたらせ。[6]
ヌルハチはこれに対し、
吾とならば滿洲國、汝等とならば呼倫フルン國、 汝等が呼倫國大いなりとも吾賷せと云ひ得んや。吾が滿洲國大いなりとも爾に與へなば馬牛に非ざるぞ、國を尚分ち與へし道ありや。政執れる大人等汝等各々貝勒ベイレ等を諫めて云はず、惡ろく面汚しの者の如く汝等自ら何言はんと來たれりや。[6]
と言い果てると、使者を返した。
イェヘ、ハダ、ホイファの三国は協議の上、服従しないヌルハチをやりこめるため使者を出すことに決め、イェヘ東城主・ナリムブルはニカリ[7]とトゥルデイ[7]を、ハダ国主・メンゲブルはダイムブ[7]を、ホイファ国主・バインダリはアラミン[7]をそれぞれ派遣した。使者が揃って到着すると、ヌルハチは酒宴を催して歓迎した。トゥルデイは立ち上がり、ヌルハチに向って曰く、
貝勒ベイレ、汝の婿エフ一言曰ひて遣しけるなり、汝に告げなば或ひは怒出じて吾を怨みなすかと恐る。[6]
ヌルハチ曰く、
汝の心もて云ふ言葉に非ず、汝の主の言葉を告ぐるならめ、そを如何んぞ汝を怨みなすべき、惡ろき言葉なさば、汝の如き者を遣して汝の主の前に酬いの惡ろき言葉を言ふならめ。[6]
トゥルデイ曰く、
汝の婿エフの云ひけることは、汝の國を分ちて賷せと云へど與へず、從へと云へど從はず、吾等兩國戰なさば、汝が土地の境に吾行きて立ち能ふらめ、吾が土地の片隅に汝來たりて立ち能ふか。[6]
ヌルハチはそれを聞くや憤り、刀で机を「一刀両断」して曰く、
葉赫イェヘの婿エフ等、汝等誰が戰に二匹の馬交はり、二人の者兜鎧の袖落つるまで斬りて戰へるか。二人の幼なき子骨投げ爭ひて相鬪ふ如く、哈達の蒙格布祿メンゲブル、代善ダイシャンの伊かれ等の中亂れてありし時に、汝等の打ち從へし如く易く何ぞ考ふるぞ。[8]汝等の田土を遶りて邊關取りてあらんや。吾晝行く能はざるも、夜行きて汝の地の境に立ちて歸りしときは亦如何なるぞ。汝の口何ぞかく大言吐く。吾が父を漢人殺せば吾に三十道の勅書、三十匹の馬を配りて屍と共に送り來たれり。次いで又坐り乍ながら受けむ左都督の勅書送り來たれり。その後龍虎將軍てふ大勅書送り來たりて、年毎に、八百兩の銀、十五匹の蠎段を常に取る。[9]汝の父を漢人は殺したるにぞ、汝の父の屍を汝收めたるか。[10][6]
ヌルハチは前言をアリンチャ・バクシ[11]に書簡に書かせて曰く、
この書を齎もたらして葉赫イェヘの二人の貝勒ベイレの前に盡く讀め。汝恐れ讀む能はざれば、彼處に永く居れ、吾が方に歸り來るなかれ。[6]
しかしこのやりとりを目撃していたイェヘのブジャイは、アリンチャを自宅へ招いて書簡の中身を尋ね、アリンチャはブジャイを前に読み上げた。ブジャイ曰く、
この書を吾已に見たれば、吾が弟・納林布祿ナリムブルに看しむる勿れ。[6]
アリンチャはヌルハチに言われたことをブジャイに説明した。するとブジャイ曰く、
吾が弟の言葉の惡しきに汝の貝勒ベイレ怨みて云ひしに他ならざるぞ、吾が弟見たる時は汝を怨み爲さヾらんか。[6]
ブジャイは言い果てると書簡を収め、アリチャは帰っていった。
万暦21 (1593) 年旧暦6月、イェヘの西城主・ブジャイと東城主・ナリムブルは、ヌルハチの不順を理由にハダ国主・メンゲブル、ウラ国主・マンタイ、ホイファ国主・バインダリの三王を糾合し、四国聯合してマンジュ属部・フブチャ・ガシャン[12]を襲撃、掠奪した。ヌルハチは直ちにハダの兵を追撃したが、ハダに着いた時、メンゲブルらは既に入城していた。
その夜、ヌルハチは道伝いに歩兵を潜伏させると、少数の従卒を率いてハダ属部・フルギヤチ・ガシャン[13]を掠奪し、撤収した。この時、ハダ兵がフルギヤチに追撃にやってきた。ヌルハチは、確実にハダ兵を潜伏兵の場所まで誘き寄せるため、味方の兵を先に走らせ、自らは殿しんがりとなってハダ兵を引きつけた。
ヌルハチに追いついたハダ兵は、後方から馬を横並びに三人、前方からは一人が刀を掲げて襲い掛かった。ヌルハチは前方の敵を優先し、放った矢は馬の腹に中った。馬は驚いて跳ね廻ったが、後方の三人がその間に再び斬り掛かった。すると今度はヌルハチの馬が暴れ出した。ヌルハチは殆ど投げ出されそうになりながらも、辛うじて右足で鞍にしがみつき、体勢を立て直すと直ぐに一矢を報いた。矢はメンゲブルの乗った馬に中り、馬は地面に斃れ伏した。そこに家来のタイムブル[14]が馳せ参じ、メンゲブルを自分の馬に乗せると、徒歩でその場を後にした。ヌルハチは騎兵三人と歩兵20余りを率いて戦闘に戻り、ハダ兵12人を斬伐、甲冑6、馬18匹を鹵獲して帰還した。
この結果に不満を募らせたフルン四部は、さらに蒙古勢などを糾合し、大挙してマンジュのグレを襲う。(→「古勒山の戦」)
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