原 研吉(はら けんきち、1907年3月24日 - 1962年8月10日[1])は、日本の映画監督である[2]。本名、菅原謙吉[3]。
山形県鶴岡市出身[1]。慶應義塾大学仏文科卒業[1]の後、松竹大船撮影所に入社[3]。
1962年8月10日、食道癌のため神奈川県藤沢市鵠沼で死去[3]。
フィルモグラフィー
映画
- 東京の合唱(1931年) - 助監督
- 青春の夢いまいづこ(1932年) - 監督補助
- 非常線の女(1933年) - 監督補助
- 浮草物語(1934年) - 監督補助
- 一人息子(1936年) - 監督助手
- 淑女は何を忘れたか(1937年) - 編集
- さらば戦線へ(1937年) - 監督
- 愛国抒情詩 軍国子守歌(1937年) - 監督
- 母ぞよく知る(1938年) - 監督
- 或る女の道(1938年) - 監督
- ある淑女の告白 花ある氷河(1938年) - 監督
- 美枝子の兄(1938年) - 監督
- 若い人の立場(1939年) - 監督
- 父よあなたは強かった(1939年) - 監督
- あこがれ(1939年) - 監督
- 母を讃へる歌(1939年) - 監督
- 黒潮(1939年) - 監督
- 波濤(1939年) - 監督
- 新女性聯盟(1940年) - 監督
- 四季の夢(1940年) - 監督
- 女性の覚悟 第一部 純情の花(1940年) - 監督
- 女性の覚悟 第二部 犠牲の歌(1940年) - 監督
- 薔薇命あらば(1940年) - 監督
- 幸福な家族(1940年) - 監督
- 碑(1941年) - 監督
- 三人姉妹(1942年) - 監督
- 日本の母(1942年) - 監督
- 戦ひの街(1943年) - 監督
- をぢさん(1943年) - 監督(渋谷実と共同)
- おばあさん(1944年) - 監督
- 水兵さん(1944年) - 監督
- ことぶき座(1945年) - 監督
- 金ちゃんのマラソン選手(1946年) - 監督
- 仮面の街(1947年) - 監督
- リラの花忘れじ(1947年) - 監督
- 愛情十字路(1948年) - 監督
- 弥次喜多凸凹道中(1948年) - 監督
- たそがれ密会(1948年) - 監督
- 麗人草(1949年) - 監督
- 悲恋模様 前篇東京篇(1949年) - 監督
- 悲恋模様 後篇大阪篇(1949年) - 監督
- 宵待草恋日記(1950年) - 監督
- 危険な年齢(1950年) - 監督
- 童貞(1950年) - 監督
- 悲恋華(1950年) - 監督
- 左近捕物帖 鮮血の手型(1950年) - 監督
- 女の水鏡(1951年) - 監督
- 美しい暦(1951年) - 監督
- 若い季節(1951年) - 監督
- わが恋は花の如く(1951年) - 監督
- 紅扇(1952年) - 監督
- 華かな夜景(1952年) - 監督
- 緑の風(1952年) - 監督
- 彼を殺すな(1952年) - 監督
- うず潮(1952年) - 監督
- その妹(1953年) - 監督
- 處女雪(1953年) - 監督
- 春の若草(1954年) - 監督
- 黒い罌栗(1954年) - 監督
- えくぼ人生(1954年) - 監督
- 路傍の石(1955年) - 監督
- 燃ゆる限り(1955年) - 監督
- 人妻椿(1956年) - 監督
- 花ふたたび(1956年) - 監督
- 青い花の流れ(1957年) - 監督
- 幸福な家族(1959年) - 監督
- ふるさとの風(1959年) - 監督
- 痛快なる花婿(1960年) - 監督
脚注
外部リンク