北方 (市川市)

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北方
北方の位置(千葉県内)
北方
北方
北方の位置
北緯35度43分52.11秒 東経139度57分23.12秒 / 北緯35.7311417度 東経139.9564222度 / 35.7311417; 139.9564222
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 市川市
人口
2017年(平成29年)9月30日現在)[1]
 • 合計 6,028人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
272-0815[2]
市外局番 047[3]
ナンバープレート 市川

北方(きたかた)は、千葉県市川市町名。現行行政地名は北方一丁目から北方三丁目。郵便番号は272-0815[2]

地理

市川市北部に位置する。主に住宅地として使用され、市川税務署が置かれる。また、小説家であり、俳人である矢田挿雲が当地に「北方庵」を構え、晩年まで居住していたほか、ガラス工芸家藤田喬平も晩年まで居住していた。さらに、この付近に青年時代の小説家五木寛之が住んでおり、ここから中山競馬場に遊びに通っていたという。

一丁目に市川税務署、二丁目に市川北方(いちかわぼっけ)郵便局、京葉銀行北方支店、三丁目に北方霊園がある。

東は高石神中山、西は八幡、南は鬼越、北は本北方と接している。

地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、北方2-19-9の地点で22万円/m2となっている。[4]

歴史

住居表示実施以前は北方町(ぼっけまち)と称した。

沿革

  • 1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡北方(ぼっけ)村となる。
  • 1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡北方村となる。
  • 1873年(明治6年) - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡北方村となる。
  • 1889年(明治22年) - 東葛飾郡中山村、鬼越村、若宮村、高石神村と合併し、東葛飾郡中山村大字北方となる。
  • 1924年(大正13年)8月10日 - 中山村が町制施行。東葛飾郡中山町大字北方となる。
  • 1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町八幡町国分村と合併、市制施行。市川市大字北方となる。
  • 1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市北方町(ぼっけまち)一丁目 - 四丁目となる。
  • 1969年(昭和44年)9月1日 - 北方町の一部で住居表示施行。市川市北方(きたかた)一丁目 - 三丁目となる。

地名の由来

旧来の「ぼっけ」ではなく「きたかた」としたのは、「ぼっけ」が難読地名であることにより読みやすくしたものである。また、「北方」(きたかた)の前身である北方(ぼっけ)は

  • 崖の意味である「ぼっけ」より。
  • 当地に住んだ閑院家の呼び名が北家(ほっけ)であったから。
  • 中山領主の北の方が住んでいたことから北方と呼ばれていたから。

という説がある。

世帯数と人口

2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
北方一丁目 790世帯 1,653人
北方二丁目 1,087世帯 2,381人
北方三丁目 920世帯 1,994人
2,797世帯 6,028人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
北方一丁目 14~27番 市川市立中山小学校 市川市立第四中学校
1~13番 市川市立冨貴島小学校 市川市立第三中学校
北方二丁目 1~10番
32~37番
11~31番 市川市立中山小学校 市川市立第四中学校
北方三丁目 1~23番
24~29番 市川市立若宮小学校

施設

  • 市川市立北方保育園
  • アイリス幼稚園
  • 市川税務署
  • 市川北方郵便局
  • 京葉銀行北方支店

関連項目

脚注

  1. ^ a b 町丁別人口(住民基本台帳)”. 市川市 (2017年10月10日). 2017年11月6日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月7日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ 小・中学校の通学区域(学区)”. 市川市 (2017年9月28日). 2017年11月7日閲覧。