八田 謹二郎(はった きんじろう、1853年(嘉永6年9月) - 1928年(昭和3年)6月22日)は、明治時代の政治家、銀行家、林業家。衆議院議員(2期)。
経歴
安芸広島藩領佐伯郡玖島村(広島県佐伯郡佐伯町を経て現廿日市市)で[3]、酒醤油醸造業・先代新七の長男として生まれる[3]。漢学を修め、広島県下の多額納税者に列した。広島県農工銀行監査役、同頭取、八田貯蓄銀行頭取などを歴任した。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では広島県第2区から無所属で出馬し当選。つづく第2回選挙でも当選した。在任中は中央交渉会に属した。
林業家としては、1万余町に数万株の諸苗を増植、灌漑に努めるなど郷里の農林業に貢献し、その功を賞して1900年(明治33年)緑綬褒章を下賜された[4]。
栄典
- 勲章等
脚注
参考文献