佐藤 清美
KIYOMI Satoh
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秋田銀行レッドアローズ HC |
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役職 |
ヘッドコーチ |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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生年月日 |
(1962-05-21) 1962年5月21日(62歳) |
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出身地 |
秋田県平鹿郡大森町 |
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身長(現役時) |
175cm (5 ft 9 in) |
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体重(現役時) |
65kg (143 lb) |
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キャリア情報 |
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出身 |
秋田県立能代工業高等学校 日本大学 |
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選手経歴 |
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1985-1993 |
日本鉱業 |
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指導者経歴 |
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1993-1994 1994-1995 1996-1997 1997-1998 1998-1999 1998-2008 2008-2012 2012-2016 2016-2017 2017-2019 2019-2021 2021-2022 2022- |
ジャパンエナジー 日本大学 ジャパンエナジー(コーチ) ジャパンエナジー 男子日本代表(AC) 常葉学園大学 JXサンフラワーズ(コーチ) JX-ENEOSサンフラワーズ JX-ENEOSサンフラワーズ(監督) JX-ENEOSサンフラワーズ JX-ENEOSサンフラワーズ(監督) ENEOSサンフラワーズ 秋田銀行 |
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佐藤 清美(さとう きよみ、1962年5月21日 - )は、日本の男子バスケットボール選手、バスケットボール指導者。
人物
1962年5月21日、秋田県平鹿郡大森町出身。中学校時代からバスケットボールを始め、秋田県立能代工業高等学校に進学。高校ではポイントガードを務め、1979年、1980年の全国高等学校バスケットボール選手権大会連覇に貢献した。
1981年に日本大学に進学。日本大学時代には1983年~1984年の全日本大学バスケットボール選手権大会で連覇を果たす。大学卒業後の1985年に日本鉱業へ入社。同社バスケットボール部に入り、1993年までプレー。日鉱時代は1989年、1993年に天皇杯全日本総合バスケットボール選手権大会優勝を経験。また1990年~1992年にはバスケットボール男子日本代表に招集され、兵庫県神戸市で開催された1991年バスケットボール男子アジア選手権に出場している。
1993年に現役を引退して指導者へ転身。ジャパンエナジーグリフィンズや母校の日本大学、男子日本代表でアシスタントコーチ、常葉学園大学(男子バスケットボール部)でヘッドコーチを務めるなどして、2008年にジャパンエナジーサンフラワーズ(現:ENEOSサンフラワーズ)のアシスタントコーチに就任していた。
2012年 - 2013年シーズンから、JXサンフラワーズ(当時)HCを務めていた内海知秀がバスケットボール女子日本代表HCに専念することとなったため、内海の後任としてJXサンフラワーズHCに就任することとなった[1][2]。
2016年オフ、トム・ホーバスHC就任により監督に[3]。
2017年オフ、ホーバス前HCが女子日本代表HC就任のため、後任としてHC復帰[4]。
2019年4月3日、佐藤が2018-2019シーズン終了を以てヘッドコーチを退任し、監督となることが発表された[5]。2021年、再びヘッドコーチを務める。
2022年、ENEOSを退団、秋田銀行のヘッドコーチに就任した。
家族・親族
選手歴
- 1978年 - 1981年:秋田県立能代工業高等学校
- 1981年 - 1985年:日本大学
- 1985年 - 1993年:日本鉱業⇒日鉱共石
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
- 先代
- トム・ホーバス
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- JX-ENEOSサンフラワーズヘッドコーチ
- 2017 - 2019
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- 次代
- 梅嵜英毅
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