12代 佐藤 助九郎(さとう すけくろう、1896年(明治29年)10月22日[1] - 1979年(昭和54年)12月5日[1][2])は、大正から昭和時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。富山県東礪波郡柳瀬村長。
経歴
富山県東礪波郡柳瀬村(砺波町を経て現砺波市)出身。先代佐藤助九郎の二男・健太郎として生まれ、1931年(昭和6年)家督を相続する。1918年(大正7年)早稲田大学専門部政治経済学科卒業。
1919年(大正8年)以降、中越銀行[注 1]勤務、富山県スキー連盟会長、富山鉄道、佐藤工業各社長、高岡新聞社[注 2]、高岡劇場各取締役、中越無尽[注 3]監査役、北日本新聞社長[1]のほか、柳瀬村長、同村産業組合長、同村農会長を務めた。
1939年(昭和14年)富山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年月9月29日に就任し[6]、同成会に所属し[2]1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで務めた。
親族
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 「佐藤助九郎 3代」『富山大百科事典 上巻』733頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』201頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、49頁。
- ^ 『人事興信録. 第14版 上』大谷米一
参考文献