二神 範蔵(ふたかみ のりぞう、明治28年(1895年)6月29日 - 没年不明)は日本の実業家。元山下近海汽船社長。
二神は、東京都知事石原慎太郎の父潔の死後、慎太郎に一橋大への進学と、当時できたばかりの公認会計士の取得を強くすすめた[1]
経歴
愛媛県南宇和郡城辺町(現在の愛南町)出身[2]。二神彦一の男[2]。
大正7年(1918年)東京高商(現在の一橋大学)を卒業し[2]三井物産を経て[2]、昭和6年(1931年)6月山下汽船に入社し[2]日濠定航事務所長[2]、紐育支店副長[2]、名古屋支店長を歴任[2]。
昭和18年(1943年)山下近海機船常務に転じ[2]、昭和22年(1947年)3月同社社長に挙げられ[2]、昭和24年(1949年)4月第二会社山下近海汽船を設立し社長に就任した[2]。
人物像
趣味はゴルフ[2]、囲碁[2]。
家族・親族
一男四女あり[2]。
参考文献
- 『第十六版 人事興信録 上』 昭和26年(1951年) ふ40
- 佐野眞一『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』 講談社 2003年
関連人物
脚注・出典
外部リンク